運が良い
以前、YouTubeライブ(「災い転じて福となす」からとって)「わざ転」ライブというものに出させていただき、ブログにもそのことをちょっと書きました。
こちらのライブ、主宰者の方が、他の方のインタビュー(対談?)もやっておられるわけですが、先日、ふと見かけたところで、ちょうどライブをなさっておられました。
曰く「所持金30円からのわざ転」だったそうです。へええ…?
お話の内容は本編動画をご覧いただくのが一番なのですが、転換のポイントは「自分は運が良いと思い込む」ことだったそうです。
…そういえば、松下幸之助さんも「自分は運が良い」としばしばおっしゃっていたのだ、という話をどこかで読んだことがあります。
そんな、自分が運が良いか悪いかなんて、別に思い込んだところで変わる話でもない…って思いたくなりますよねえ。
でも、きっちり、自分は運が良い、と思い込むことが出来たなら、そこから先の世界は、すべて「自分は運が良い」ということの確認作業になります。
運が良い人生がはじまると、人相が良くなります。
事実関係として、そのひとに「良いこと」と「悪いこと」のどちらが多く降りかかっているか、ということはあまり問題にはなりません。
「大難を小難に、小難を無難に…」という祈りの言葉があります。
「運が良い」と自認されるかたは、難所に出会った時も「このくらいで済んだのはわたしの運が良かったからだ」と解釈されるようなこともあるのでしょう。あるいは、その難所の中で「運が良かった」という部分に焦点を当てておられたりするのだろうと思います。
そういえば、わたしも、自分自身の運が良い、と認識しております。
特に「ひとのご縁」に恵まれた…という所においては、飛び抜けて運が良かったのではないか、と信じています。
宗教学者の植島啓司先生が、「自分は実力がある、と言われるよりも、運が良いと言われる方が嬉しい」みたいなことを書いておられました。

https://www.kadokawa.co.jp/product/321608000188
運を良くするためにはどうするのか…?みたいなことも一緒に書いておられたように記憶しています。
ただし、運が良い、あるいは縁を頂ける、というだけではやっぱり足りない、というか、運が良かったり、あるいはご縁を頂いたりしたところで、それなりの実力を発揮できないと、次に繋がりません。
なので、ご縁を頂けるのであれば、それに応えられるように、準備しておく、ということもとても大事です。
日々を丁寧に過ごす、というのは、自分の運気を上げる、というところにも繋がりますし、自分自身の底力をちゃんと蓄える、というところにも繋がることだと思っています。