醸造と発酵の話
先日の健康教室で、「消導薬」として麦芽の話をすこししました。
麦芽とは、麦の芽が出てきた状態のものです。この芽は、タネである「麦」の本体から栄養を得て、芽を伸ばし、根を伸ばすためのエネルギーに変えてゆくわけです。
麦、ですから、その中に蓄えられている栄養分はデンプンです。
デンプンを分解する酵素がそこで働いている、ということなのだと思います。
この、デンプンを分解するはたらきを利用して、ビールの発酵をやっているのだ、と聞きました。デンプンのままではアルコール発酵はできません。なかなか、上手な酵素の使い方ですが、誰が発見したのでしょうか、ねぇ?
日本では「日本酒」というものがあります。これもコメのデンプンを一度ブドウ糖まで分解しておいて(麹菌の作用を使います)、そこから酵母がアルコール発酵をさせる、という形になっています。
世界的にもこの二段階発酵というのは珍しい現象だそうです。
たとえば、ワインなんかだと、本当にブドウそのものに「ブドウ糖」が含まれています。これを、ワインの皮に残っている酵母がアルコールに発酵させる、という形ですので、とてもシンプルにアルコールが発生します。
古代ヨーロッパにはハチミツ酒(ミード)というものが知られていたそうで、世界最古のお酒と言われています。これは、ハチミツを薄めることで、酵母が働き始めて、発酵する、というものであったようです。
ハチミツは、そのままだと浸透圧が高く、酵母が活動しづらい状況だそうですので、適切に希釈することで、発酵がほぼ自動的にはじまったのでしょう。現代、販売されているハチミツは加熱処理を済ませてありますので、希釈したところで酵母は働かないようになっています。
※ハチミツは、加熱処理しても、熱に強い菌種の「芽胞」が残っている場合があります。特にボツリヌス菌の芽胞は熱に強く、こうしたハチミツの中に残ることがあるとされています。これを成人が少量摂取した程度ではなにも起こりませんが、1歳未満の乳児の場合、腸内細菌がまだ安定していませんので、ボツリヌス菌の芽胞が摂取された場合、腸内で菌が増殖すると、ボツリヌス菌による中毒を引き起こすことがあります。ボツリヌス菌の毒は、世界的にも最も少量で致死量に至るとされていますので、くれぐれもご注意ください。
乳児にハチミツを与えないでください、というのは、このような理由があります。
さて。二段階発酵でのアルコール醸造について話をしていたのでした。
その昔、「噛み米酒」というのがあったそうです。生米だったのでしょうか…?米を噛むと、唾液のアミラーゼがデンプンを分解します。その状態であれば、酵母があればアルコール発酵が進みます。
乳酸菌発酵も重なっていたようで、日本酒…というには、ずいぶんと酸っぱいお酒だったみたいです。いつごろから麹を用いた発酵が主流になっていったのでしょうか。
現代人の感覚からすると、いちど他人の口の中に入ったものを、食べ物とする、というのは結構な抵抗がありますが、かつては許容されていた、ということなのでしょうか。
食物は神様の死体から生まれたもの?
私たちが日頃何気なく口にしている食物。その起源が、『古事記』に神話として描かれています。ある時、天上界の神々がオオゲツヒメという女神に食物を所望した時(スサノオが所望した、という解釈もあります)、その女神は自分の鼻と口と尻から、様々な美味なものを取り出し、それを調理し盛りつけて神々に差し上げました。その様子を見ていたスサノオは、汚い方法で料理を出す女神だと思ってその女神を殺してしまいます。その殺された女神の頭から蚕が、目から稲が、耳から粟が、鼻から小豆が、陰部から麦が、尻から大豆が生じました。その時、女神の身体に生じた種を、天上界の神であるカミムスヒが、スサノオに取らせた、という話です。これが地上界に穀物がもたらされた起源であると考えられます。
口から…だけではありませんが、オオゲツヒメの物語は、カミが、自らの穴という穴から様々な食物を取り出していた、ということになっています。それをスサノオが覗き見て、「汚い」と腹を立て、オオゲツヒメを殺してしまう、というお話が『古事記』に出ています。
このあたり、現代人の感覚で「たしかに汚いよねえ」と考えてしまって良いのかどうか、悩むところではあります。
食べ物からは離れますが、幼少期に、宮本武蔵の伝記を読んだことがあります。武蔵は戦働きの時に、踏み込んだところで、刃物を踏んだのか、大きな怪我をした、というエピソードがありました。周りの人が「うわあ…」と見ているところで、「こんな怪我、どうということはない」と自分で応急処置をして、そのまま戦働きに出た、というものでしたが、その応急処置が、馬糞だったか、牛糞だったかをその傷に詰める、という記述だったので、子供心に衝撃的だったことを覚えています。
動物の糞って、汚いものじゃないの?って思っていたのでした。ほら、バイキンとか、いっぱい混ざっていないの?
江戸時代くらいまでは、醸造のルールもだいぶ緩かったようで、(現在は酒税法による規制管理の対象になっていますので、くれぐれもご注意ください)どぶろくを自宅で作る、という話も残っています。
こうしたどぶろく、今でも作れるのでしょうか?って思うのですが、どうやら、法律の問題だけじゃなくて、難しいらしい。
最近、若い女性に人気の日本酒に「獺祭」というのがあります。ここは、極めて科学的に管理された発酵醸造を行っているようです。
最近の醸造は、みな、クリーンルームのような清潔な場所で行われているのが通例のようです。
昔は自宅でどぶろく作っていたのに、何が違うのでしょうか?
このあたりの話題について、空気中の菌をつかまえて、パン作りをやってきた、タルマーリーというパン屋さんが本に書いています。

きれいな麹菌をつかまえるには、いわゆる人工的な化合物をつかっていない建物の中に、天然の竹をそのまま使った容器でないと難しいのだと。
しかも、その時に使うコメも、無農薬であるとか、あるいは、さらに追及すると、コメを作る時の水がきれいでないと、どうしても嫌な臭いのする麹菌がつくのだとか。
彼らは、「きれいな環境」を求めて、関東地方から中国地方に拠点を移したのだと、著作に書いています。
そして、近代化の時代に、どうやら、菌の様相が変わったのではないか、という示唆をしています。
何がその大きな要因だったのか、はわかりません。今ではありえない、と言われる、雑多な菌をそのままおおらかに受け入れて発酵させるやり方で、それでも、嫌味のない美味しい発酵醸造ができていた、そういう時代があったのでしょう。
わたしたちは文明と引き換えに、そういう菌との共生関係を大きく変えてしまった、と言えるのかもしれません。
その関係の変化が、発酵を学問に変え、厳密に管理された醸造を実現した、というのであれば、それはひとつの「進歩」なのかもしれませんが、学問が主張する「滅菌された環境で、選ばれた菌だけを育てる」ということが、本当に唯一の正しい方法なのか?と言われると、ひょっとすると、別の道もあるのかもしれない、と思います。
ビール酵母、というのは、通常、毎回仕込みの度に購入するものだそうです(エビオス、なんていうビール酵母由来の健康食品がありますが、つまりは発酵醸造の際にでる不要物の再利用なのでしょう)。が、タルマーリーはビール酵母を更新することなく、発酵を繰り返しているそうで、強い菌を育てる、という方法は、既存の学問では説明しきれないこともあるようです。











