いちばん最初の「師匠」のこと

医者になるための教育訓練、っていうのは、まずは医学部の学部教育があります。それから、「卒後教育」って呼ばれる臨床研修の制度や、その先の自己研鑽が様々に含まれます。

わたし(にしむら)も、そういう教育を受けてきました。

が、そういう医学教育の枠組みを外れたところで、わたしには「師匠」と呼んでいる人が何人かいます。師匠ってたいていは一人とかくらいなんじゃないの?って思うのですけれど、本当にありがたいことに、わたしは師匠に恵まれたのだと思います。

ある意味で、こうした師匠に見守っていただきつつ、のびのび育ったところが、けっこうありまして、我が身を振り返ると「野良育ち」…つまり正当な卒前・卒後の教育はきっちり受けたのですが、その前にすでにある程度定まった枠組みを持ってしまっていたので、正当な教育とは違った形で自己教育をしてしまった…という表現がしっくりきてしまう、くらいの部分があります。

そんな師匠のひとりは、漢方医でした。お名前を大村雄一とおっしゃいます。http://www12.plala.or.jp/chushin-kagura/sub5.html 戦中のお生まれ(昭和19年)で、先生の年代としては「漢方なんてキワモノ」の時代であったとお聞きしましたが、そういう時代に、それでも漢方の方に進まれた先生でした。

先生にお会いしたことがきっかけとなって、医学部を目指すことになりましたので、先生とのご縁はわたしが医学部に入る前から、になります。

大学院生の時に、久しぶりにお目にかかって、大学で漢方外来を担当した、と、先生にご報告したら「良かったなあ」って喜んでくださったのを覚えています。これで師匠に少し近づいた…と思ったのもほんの一瞬で。

大村雄一先生

「でもな、ひとって、外からなんやかんやしても、それでは治らんからな」

っておっしゃられたのを、本当に愕然として、しかし、相変わらずお師匠様が先を進んでおられることのありがたさをかみしめたのでした。

そうおっしゃる師匠は、今は阿蘇の麓で、「中心神楽」と名付けて、踊っておられます。

こういう破天荒な先生にいちばん最初に出会ったことが運のツキだったのでしょうか。
わたしも漢方の道に進むことになった、そのいちばん始まりの話でした。

その後、何人かの「師匠」にお目にかかることになるのですが、それはまた別の機会にお話することにいたします。