音感とセンス

絶対音感って、聞いたことあるかもしれません。

そういえば、ノンフィクション作家の最相葉月さんが、これをテーマに一冊、本を書いておられました。

『絶対音感』

今は電子書籍になっているようです。

もともと、ヒトは「絶対音感」を持って生まれるのだという話を聞いたことがあります。ですが、この特技は、便利なようでいて、すごく不便な面も持ち合わせているのだそうです。

音程の違いが、意味の違いになる、という世界と、音程の違いを考慮しないで意味だけを拾っていく、という世界があるのですが、たとえば、鳥の鳴き声などは、前者になります。

一方で、人間の言葉の世界は、後者になります。男声と女声で、一オクターブ違うのだそうですから、それらの言葉を全然別、と認識するよりは、「同じ意味の同じ言葉」と認識する方が便利、というのがヒトの世界なのだろうと思います。

そんな世界で、絶対音感を持つ、というと、結構それはそれで、自分の持っている能力に振り回されることもあるのかも知れません。

絶対音感、だけに限りませんが、似たような形で繊細な知覚をお持ちの方がおられることに、診療していると気づきます。そういう方は、過剰な情報をどうやって自分の中で片付けるか、ということとか、あるいは、繊細な閾値を超えたものにいちいち反応せざるを得ない、ということなどに振り回されたり、あるいは頭を酷使せざるを得ない状況になってしまったりして、疲弊されていることも多いようです。

なるほど、こういう状況を突き抜けるのが「鈍感力」なのかもしれない、と最近思うようになりました。鈍感力、って言われても、そんなにスッキリ得られるものでもありませんが。

逆に知覚の苦手さを克服するために、神経を集中される方もあります。これもこれで、負荷が大きくなります。頑張って来られたんだろうな、と思いますが、なかなかスッキリとした解決策を処方することもできず、まだまだわたしの修行が足りないのだなあ…と思っています。

鈍すぎるのもいろいろとトラブルや不運の原因になりますが、過敏なのも、疲弊やトラブルの原因になります。やはりほどほど、中庸が良さそうです。

ところで、言葉っていうのは、文字になるところと、音声で伝える部分とがあります。文字はどうしても「意味」だけになりがちです。音声の場合は、声色とか、あるいは表情といった、別の要素も含めた形で伝わってくることになります。

相手が不機嫌になっているかどうか、というのは、直接対面して居るときの方がわかりやすいわけですけれど、これも相手の機嫌を感知する能力の差があったりします。

この能力もあまり過敏だと、大したことのない変動が気になり始めますし、かと言って、あまり鈍すぎるといつの間にか友人が減っている、なんてことにもなりかねません。

文字にした言葉、なんていうものは、本当に抜け殻でしかなかったりするわけですが、これを大事にされる方もあります。

また、言葉の意味合いは、その言葉を受け取る人の来歴によってもだいぶ違うことだってあります。

たとえば「阪神タイガース」という言葉があります。これを、一部の方は「とっても大好きな野球チームの名前」と認識されているでしょうし、一部の方は「嫌いな野球チームの名前」と認識されているかもしれません。

野球のチーム名くらいならまだ平和…なのかもしれませんが、「両親」とか「家族」という言葉に、肯定的な意味が強い方と、否定的な意味合いが多く含まれる方と、では、だいぶ温度差ができたりすることもあるのだと思います。

こうした両者が、文字だけでやりとりをしていると、気づかないこともしばしばでしょうが、どうしてもすれ違ってしまうことになりかねません。

この辺のすれ違いに気づくのか、それとも気づかないのか、気づいた時に、それを明らかに言葉にあげるのか、それとも「スルー」するのか、という事も時と場合によって異なります。

このあたりを「センス」の一言で丸めこんでしまってはいけないように思いますが、実際のところ、とても難しいなあ、と思います。