頭は仮置き場

クリニックでの診療は、完全予約制にしましたので、お一人ずつの診療にそれなりに時間をかけられるようになりました。
眠れない、眠りが浅い、あるいは、頭が痛い、頭が重たい、などという形で来てくださる方も増えております。
一般的な漢方の診療だと、顔色を拝見して、脈を診て、舌の状態を診て、それから腹部の触診をして…というくらいだと思いますが、わたしはそれに加えて、背中や腰を診ることと、頭を診ることをやっています。
頭を診る、といって何をしているのか、今ひとつ自分でも分かっていないのですが、緩やかに頭に触れて、外気功のようなことをしていると、頭の様子が伝わってきます。
頭がいっぱいになっておられると、やっぱり触れたときに頭が大きく、そして中が詰まっている感じがあります。
これに働きかけつつ、頭を整理して、柔らかく、スッキリした状態になるようにしてゆくわけなのですが、こうやって診ていると、頭というのは「仮置き場」なのだな、という印象がどんどん強くなります。記憶を一時的に保管はしているのだけれど、ここに置きっぱなしにしてはいけない、という思いが強くなります。
パソコンの部品で言うなら「メモリ」と呼ばれる部分になります。作業のために情報を拡げて動かす場所、という意味合いです。
しっかり記憶を自分の中に納めておく場所、つまりパソコンのハードディスクのような働きをもつ場所がどこになるのか。頭にあるのか、それとも身体の別の場所なのか、ということについては、今のところ、結論が出ていません。ひょっとすると身体の方なのではないか、という気がしていますが、もうしばらく観察が必要だと思います。
頭の不調をおっしゃったり、あるいは不眠をおっしゃる方の中には、この「仮置き場」を倉庫として使おうとしておられる方が結構いらっしゃるのではないかと思います。つまり、「忘れてはいけない」っていう緊張をしすぎて、頭の中に留め置くことをずっとされている印象です。ひとの頭は生物ですから、それなりに弾力性があって、無理に詰め込むと、少しは入るようになるのですが、頭の中がいっぱいになったまま、次を詰め込むと、なかなか覚えられませんし、やっぱりそれだけギュウギュウに詰め込むと、痛みが出てくるように見受けられます。
これは、言ってみたら、いろいろなモノを何もかも仮置き場に「保管」しすぎて、通り道も作業エリアも全部、モノでいっぱいになっている状態のようです。
作業する場所ですから、ある程度、ものを動かす余裕がないと、次のものも入りませんし、通り道も確保できません。
そういえば野口整体の野口晴哉氏も「覚える方法ではなくて、上手に忘れる方法こそが記憶のためには大事なのだ」と書いておられました。覚えよう、とすると、たぶん、この頭の中に詰め込む、という操作になるのだろうと思います。詰め込まれたものを、作業場に仮置きして、それを何らかのタイミングで、どこかに長期保管するように移動するのでしょうが、仮置き場がいっぱいになりすぎると、この長期保管する倉庫への道筋が通れなくなってしまうのではないか、と思います。
じゃあ、こういう形でいっぱいになってしまったものをどうしたら良いのか?ということですが、それには、「書き出す」という行為が役に立ちます。
頭の中にあるいっぱいのものごとを紙に書いていただくことで、頭の中から整理ができるようになります。
そして、一度外に出せば、またそれらを一覧することもできるようになるわけです。
頭は仮置き場ですので、その場所を空っぽにしておくことが、作業を円滑に進めるためにも重要です。ということで、気持ちよく忘れることと、上手に思い出す方法を作っておくことが、よく覚えるためのコツ、ということになります。
そういう意味でも「明日の自分に申し送りを書く」という方法は有用なのではないか、と思っています。