あたまの使い方

昨年末に、師匠の主宰する子どもミュージカルの公演があり、お手伝いに行ってきました。

師匠が、ミュージカルをはじめて、40年の節目でもありましたが、大阪での定期的な公演はこれをもって最後とする、ということで、ずいぶんと昔の参加者なども顔を出してくださって、懐かしい顔ぶれに時代を思ったものでした。

ミュージカルの本番準備中。舞台、大道具裏の風景。

今回の演目は「アラビアンナイト」から、アリババと40人の盗賊、でした。

その(とぼけた)盗賊のセリフにこんなのがありました。

「そっかぁ。アタマを使うからオ・カ・シ・ラ。なのかぁ」

そんな意味合いはあまりないと思うのですが…。

あたま 【頭】

  1.  人や動物の首から上の部分。脳や顔のある部分。かしら。こうべ。「―をふる」
     顔より上の部分。脳天。「―が割れるように痛い」
     顋門(ひよめき)の古名。和名抄
     頭の毛。頭髪。また,髪の形。「―を刈る」「妙な―をしている」
  2.  思考力。考え。「―がいい」「―が悪い」
  3.  ものの考え方。「―を切りかえる」
  4.  物の上の部分。てっぺん。「ツクシが―を出す」「鼻の―」
  5.  組織や団体の上層部。かしらだつもの。「―に据える」
  6.  人数。「―かず」
  7.  物事の初め。最初。はな。「―からはねつける」
  8.  うわまえ。
  9.  〘経〙「頭金(あたまきん)」の略。
  10.  (「ひとり」の下につけて接尾語的に用いる)人を単位とすることを表す。「ひとり―五個ずつ配る」

やっぱり(5)あたり、組織の「かしらだつもの」あたりでしょうかしら?

とはいえ、いろいろと心配事をしたり、たくらみごとをしたり、というのを行うのが、そのかしらだつものを中心とした少数である、ということはきっと間違いないのでしょう。

人間が進化して来たとするならば、その特徴のひとつは「アタマを使う」というところにあるでしょう。そして、この「アタマの使い方」は、きっと、楽観的な、あるいは、気楽な、という使い方ではなくて、むしろ「悪いこと」「嫌な思い出」を起こらないように予防する、という形であったのだろうと思います。

カフェインは不安を高める…?

ドラマなどでは、すごくショッキングな出来事があって、駆け込んできた主人公(?)に、支えてくださる方が「ちょっとお茶でもしましょう?」と、お茶…ないしコーヒーをい…

似たようなこと、前にも書いていましたが…。

なので、アタマを使って働かせると、「不安に感じること」とか「嫌な思い出」とか、「悪い予感」が浮かんでくるようになりがちです。

それらをいったん想定しておいて、その悪いことに対処する方法を考えて準備する、ということがアタマの仕事なわけですから、悪いことを想起するというのが「正しい」使い方です。

ある程度の集団で生きている時には、こうした「アタマ」を使う人が1%くらい居たら、なんとかなったのかもしれません。100人くらいの暴走しそうな集団を、ひとりで止めようとするなら、なかなかに胃が痛くなりそうですが…。

そういえば、フィリピンの先住民であるアエタ族の村を訪問した時に、ひとりだけ、ものすごいインテリが居たのを思い出しました。極めて知的に自分の経験を語っておられましたが…言語の壁もあり、本人に「どうしてあなたは(他の村人と違って)そんなに賢いのか?」ということを訊くことはできませんでした。
事情をご存知の方に尋ねたところ、稀にそのような「突然変異」で、知性を発揮するひとが出現するそうです。やっぱり1%くらいなのでしょうか。

さて。そんな100人にひとりくらいの「頭脳派」が何をするか、というと、おそらく、楽観的で暴走しがちな集団に「もしも何かあったらどうするんだ!」って毎日大声で怒鳴っている…というような図がうかんできます。実際にはそうじゃないのかもしれませんが、村人が「え?なんとかなるじゃん。ねえ」って突っ走るのを、毎回冷や汗をかいて、胃に穴があきそうな思いをしながら、引き留める…みたいなことを繰り返していたのではないでしょうか。

ひとりの胃袋の穴で、100人が助かる、というのであれば、全体から見ると「収支があっている」としても良いのかも知れません。胃に穴があく当事者にしてみたら、なにをとんでもない!って話になりそうですが。

残念ながら、現代社会は、100人なんていう集団での行動は減りました。むしろ、少人数で生活してゆけるような構造を作った、というのが、現代社会の恩恵の部分なのでしょうから、それで良いのだろうと思います。ただし、そうすると、それぞれの個人、ないし数人の集団の中に、「アタマを使う」ひとが必要になってきます。まあ、居なければいないでなんとかする(もしくはなんともならない)だけの話ではありそうですので、必須ではないのでしょう。

集団を引き留めようとしていた時代から、きっとアタマの構造自体はあまり変わっていないのだろうと思います。
つまり、ちょっと過剰に心配気味になる。

大人数を相手にしていたときには、そのくらいでも、ちょうど良かったのかもしれません。
とはいえ、現代では、ちょっといろいろとそぐわない時代になってきました。
自分で考えて、自分の身の安全を確保する、という話になると、自分自身の胃に穴があいて、それで収支があう、と考えられるか、どうか。

そういう計算をするなら、もう少し気楽に生きる、ということが、許されるのかもしれません。

なかなか今すぐに「気楽な人生を選んでください」と申し上げて、はいそうですか、じゃあ。って変えられるようなものではありませんが、日々の積み重ねとして、少しずつ、気楽な方を選んでいただく、というのが良いのかなあ、と思います。