あたりまえのこと

こちらから画像をお借りしました。

医学生時代から、ずいぶんと親しくて、その後もだいたい似たような領域で仕事をしてきた、そんな親友が、クリニックのWebサイトをあらためて見てくれたようで、感想を送ってくれました。

友人

「自分の診療のアピールが弱い」

…だそうです。親友ですから、悪口、じゃなくて、「もっとアピールしても良いのに」というようなニュアンスが含まれているのだと思います。ありがたや。

診療のアピール、あまりしていないですねえ。

ウチに来て頂いたら、あれが治ります、これが良くなります…って、あまり書いていません。一見、似たような症状をおっしゃる方でも、本当に、受診していただいて、診察室を出ていただく時には症状が解消している方から、何度も通って頂いているのに、なかなか改善しない方まで、本当に多彩です。
だから「これこれが良くなった(方がおられた)」という話を書いたとして、それをご覧になって、期待して頂いても、ご期待に応えられない、ということもしばしばあります。
(こんな書き方をするから、「アピールが弱い」と言われるのかも知れませんが)

最近ブログの記事でも書きましたが、診療の時に「患者さんの話を聞く」ということは、現在の保険診療の枠組みの中で考えると、経済的には損失になります。

なぜ医者は話を聞かないのか

『話を聞かない男、地図が読めない女』 という本が昔、話題になりました。1998年の出版だったそうです。そんなに男性って話を聞けないの…?って思ったりもしますけれど。 …

きっちりと話を聞くとか、患者さんにわかりやすい言葉を使うとか、そういうことを、あまり最近はなさらない先生が増えているのかもしれません。
診療報酬に反映されませんから、ねえ。

「丁寧に診療したことを、報酬にできるようにしたら良い!」とおっしゃる向きもあるのかもしれません。このあたり、しかし、医師の性善説を期待せねば成立しません。つまり、「丁寧な診療をした」かどうか、の証拠がどこにも無いわけです。そして、全ての医師が、とは言いませんが、一部で、診療報酬制度のルールの隙をついて、荒稼ぎするような人がいらっしゃいます。
(関東圏で、小児の往診専門で開業された診療所があり、コロナの関係とあいまって、異常に保険請求額が増大した、という事案がありました。その後ルールが改訂されましたので、類似の方法で高額の保険請求はできなくなったようですが…)

ですが、話を聞く、というのも、基本的には「診療において、当たり前のこと」であったりします。

だから、「アピールが弱い」って言われたことへのわたしの返事は「当たり前のこと、当たり前にやってます、ってだけなのよねえ」ってかたちになりました。

その「当たり前」が難しい、というのが今の医療を取り巻く状況なのかもしれません。

もうひとつ付け加えるならば、
「あたりまえ」が誰にとっての「あたりまえ」なのか?ということにも、注意が必要なのかもしれません。

日本の常識は世界の非常識だ、とおっしゃっていた方もありましたっけ。いろいろな「あたりまえ」がぜんぜん当たり前じゃなかったりするわけですから。

漢方薬を内服して頂いて、症状が改善しました、という方があります。
その症状に効く、もしくは「効いて欲しい」と思って処方しているわけですから、症状が改善したり、体調が上向きになって頂いたりしますが、それが「当たり前」だったりします。
もちろん、全ての方が、すぐによくなるわけではありませんので、「内服してみたけれど、症状は変わらなかった」という方がいらっしゃる、というのも、いわば「当たり前」です。
場合によっては「この漢方を飲むと、かえって症状が悪くなった」ということだって起こりえます。状況によっては「当たり前」と言えるかもしれません。

そういういろいろな「当たり前」の中で、わたしは、なるべくまっとうな、「当たり前」を守ってゆきたい。
当たり前に良くなるひとを、当たり前に診療し、当たり前に良くなるように、それを妨げている要素を取り除く。そんなことが、わたしの診療の中心だと思っています。

とはいえ、診療報酬の制度の中で、その「あたりまえ」は経済的に評価されるものではない、という事情があります。
時間をかけて、丁寧に診ているということの「証拠」なしに、診療報酬のみ請求する、という構造の温床になりかねない、という意味では仕方ないのでしょう。
そういう事情から、当院では、予約料を頂戴する形をとっております。

ご理解いただけますように、お願いいたします。