いのちの流れ

行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

鴨長明の『方丈記』冒頭です(原文は青空文庫からお借りしました)。

うたかた…(泡沫)水面に生じるあぶくのことだそうです。人がうたかたであるなら、川の流れは大きな宇宙そのものの運命なのかもしれません。

昔、漢方の勉強をしていたときに、「舞台美術と、照明とは仲が悪い」という話をされた先生がありました。どこが漢方に関係するのか?と思いながら、話をきいたのですが、舞台美術をやっているひとは、自分が作った作品がしっかり見えることを大事に考えていて、照明を当てるひとは、舞台の大道具ではなくて、物語の全体を見るのだ、というような話をされていました。

西洋医学は、どちらかというと、舞台美術的な感性が強くて、つまり、時間を止めた形で、詳細克明な記述や表現をする一方で、漢方の思想は、時間経過の中での変化を想定し、その流れを把握する傾向が強く、これは舞台の照明的な感性が強い、という話でした。

ひとの存在はたしかに大きな視点から眺めるなら、うたかたのように儚いもの、なのかもしれません。が、そのうたかたの中に、人生がある。

少し大きな話に行きすぎてしまいましたが、漢方でひとの身体を捉えると、「気」や「血」といった概念的な存在が、ひとの身体の中を巡っている、と表現できます。単純に血管の中を血液が流れている、というよりも、もっと大きな流れと循環がひとの身体の中にはあります。

たとえば、胃の部分で気は上から下の方向に動いています。「胃気無クバ死ス」という記述が専門書にみられるくらい、この気の流れは重要なのですが、時々、この気の流れが乱されることがあります。ひとつは、妊娠中。妊娠中の胎児はすごく大きな気の塊で、四方八方に気を発散させていますから、この勢いが強いと、胃の気の流れと正面衝突し、逆流を引き起こします。この逆流が、いわゆる「つわり」の症状として観察されるようになるわけです。

気が逆流するのは、なにも妊娠期に限ったものではありません。漢方の病態には、「気逆」と呼ばれる状態があります。これも本来なら、頭から足下に気が降りてくるのが、いわば理想的な身体の状態なのですが、何らかの事情で、気が上がってくる勢いが強い状態を言い表す用語です。

気逆も、さまざまな症状を引き起こしますが、胃気と強く衝突すると、つわりに似たような消化器の症状が出現することになります。

この気逆を解消するためには、気の巡りを整えることが有効だったりします。

他にも、養生や導引・気功の分野では、気を巡らせながら、瞑想する、という方法がいくつかあります。身体を動かし続ける形で気を巡らせる方法としては「スワイショウ」と呼ばれる方法が簡便でかつ有名だったりしますし、身体を動かさずに気だけを巡らせる方法としては「小周天」という方法が有名です。気は意念によって動きが生じますから、おもに「イメージ」を用いることで、この気を動かすのが「小周天」の方法になります。

ところで、身体に緊張があったり、気持ちの滞りがあったりすると、気の巡りが悪くなることもあります。漢方の病態としては「気滞」と呼びます。「気鬱の病」などと聞いたことはありますでしょうか?鬱とは、植物がむらがりしげる様子、あるいはむらがった植物があつまって、他のものをふさぐような様子を示す漢字です。いわゆる気のふさぎ、というのがこの「気鬱」とか、「気滞」と呼ばれる状態になります。

こうした「気鬱」が続くと、気分としては落ち込みがちになりますから、うまいこと巡らせてあげる方が身体も気持ちも楽になります。

気の巡りが悪くなると、それに引きずられるように、血の巡りも悪くなります。巡らないところができると痛みが生じます。漢方の文献には「通ゼザレバスナワチ痛ム」という記述がありますが、気や血の巡りが滞ることで、痛みを引き起こすようになったりしますし、他にも、冷えてきたり、あるいは疲れやすくなったり、ということも起こります。

肩こりなど、あちこちの筋肉が凝っていたりとか、緊張が強い状態であったり、というのも、この巡りが悪い状態と言うことができるでしょう。

こういった状態も「これもまた過ぎ去る」とも言えるわけですけれど、じーっと待っているよりは働きかけた方が早くに楽になります。身体が軽くなると「気鬱」の状態も改善しますので、気も軽くなります。

生命は、ふくらみ、弾む性質を本来持っているのだ、とボディートークの師匠である増田明氏は教えてくれました。それを妨げているものを上手に取り除けば、それだけでふくらんでゆくのだ、と。

そういういのちの流れを、穏やかに守ってゆくような、そんな診療をしてゆきたいと思っています。