いのちの流れを信じる

いわゆる西洋医学と、漢方を含んだ「伝統医学」との差がどこにあるのか?という話は、時々出てきます。
そりゃいろいろと違うことはありますが…という話になるのですけれど、その根本は「生命力」ないし「気」あるいは「プラーナ」などと呼ばれるようなはたらきの存在を措定するか、しないか、というところにあるのかもしれません。
そんな文章を以前、どこかの本で読みました。
わたしのクリニックは、主に漢方の診療をやっていますが、時々、「他の先生に漢方薬を処方してもらったのだけれど…」というような患者さんもいらっしゃいます。
「前の先生は、薬を飲めなかった、って言うと、すごく不機嫌になっておられて…」なんて話を聞いたこともあります。
せっかく処方した薬が、きちんと内服できていなかった、というのは、たしかに、残念なことであるのかもしれません。
じゃあ、次に考えるのは、きちんと内服できるようにするにはどうしたらよいか?って話だと、わたしは思っています。
不機嫌になったら、それで内服ができるようになるのか?という話なのですが、それは、アドラー心理学的には「不機嫌」という「感情を使って」他人を操作しようとしている…と考えるわけです。となると、それによって、きちんとした内服ができるようになった…って、ある種の脅迫ですよねえ。
脅迫して、薬の内服をきっちりしてください、って…。
わたしも時々言うことがあります。「飲み忘れると耐性株が発生して、今度は薬が効かなくなります」と。
一部の薬は、そういう意味で、毎日、忘れずに、内服をして頂くことが必要です。
これは、ご本人ひとりだけの問題にとどまる話ではありません。耐性株が発生して、それが他のひとに感染すると、現在有効とされている薬が使えなくなることになりかねませんから、こういう時には、しっかり説明して、その心配を極力回避できる方法をとってもらわねばなりません。
とはいえ、漢方薬については、それほど厳密な内服が必要という処方や、状況はあまり無いように感じます。
もちろん、事情があって、きちんと内服してください、という処方もあるのでしょう。
そんな中で、わたしは、「飲み忘れてもよい」と考えています。
飲み忘れ、飲み残しがある、という状態で、それでも調子が良いのだったら、それに越したことはありません。
むしろ、処方を少し減らしてゆきましょうか…という良いきっかけになります。
こうした考え方をしている先生はあまり多くないのかもしれませんが、わたしは、あまり「わたし自身が治療をしたから治った」とは考えていません。
たまたま、良くなるタイミングだった、という方もけっこういらっしゃるのではないか、と睨んでいます。
あるいは、ちょっとしたボタンの掛け違いがあって、そこさえ整理できたら、あとはご自身で良くなっていく力を持っておられる方がほとんどだったりします。
そこに、医者の活躍は無くて良いわけです。
タイミングとして、自然に良くなるところだった、という方。
なんらかのきっかけがあれば、自分で良くなる方法を見つけられた方。
漢方薬との相性がとても良かった方。
そんな方が多いように感じるわけです。
あ。いちぶ、ずいぶんと無理を重ねておられる方々がありますけれど…。
わたしがやっていることは、そのくらい。あとはご自身で気づいて、良くなって行ってくださいねえ…、と、そういう思いで診療をしています。
その流れを尊重することが、診療のいちばん中心にあるのだと思いますし、それを大事に診療してゆきたいと思っています。











