おらんだ正月
とある江戸末期の年末のある日、蘭学者たちが集まって、宴会をしたのだとか。
そんな話を、森銑三氏が描いていました。小文のタイトルは「おらんだ正月」。
旧暦11月11日のこと、だったそうです。
江戸時代の蘭学者たちは,寛政6年閏11月11日が太陽暦の1794年1月1日にあたるというので,その正月を祝った-「おらんだ正月」である.江戸時代初期から末期にかけて活躍した医学本草家・探検家・発明家・思想家など,伊能忠敬・平賀源内・高野長英ら50余名の伝記や逸話を平易に説く,名著の新編.(解説=外山滋比古)
「おらんだ正月」といわれた、そのお正月を、わたしたち現代の日本人は、新年としています。
中国の文化圏ではいまでも「旧正月」とか、「春節」として、西洋暦の2月にある日を「新年のはじまり」として大事にしているようですが。
日本が新暦を採用した理由は、明治維新の時に「11月の次に新年になったので、1ヶ月分の給料を払わなくてすむから」という理由だった、と聞いたことがあります。
本当に当時、財政難だったのでしょう。
関東と関西で、交流電源の周波数が異なる理由とか、家庭におりてきている電圧が100Vである理由、それから、JR在来線の線路幅が「狭軌」である理由、さらには、高速道路が片側2車線しか無い理由もみな「当時の財政不足」だった、と聞きました。
「そんな贅沢をしてはいられない」というのが実状だったようです。
今からはなかなか考えられない話ですが、そういえば、江戸時代に、大名の江戸屋敷で、お屋敷の中を隅から隅まで探し回って、一分金がひとつ、っきり、出てこなかった、というような記述も見た覚えがあります。貨幣経済が成立していなかった、というわけではなくて、いろいろと物いりだった結果、お金が残っていなかった、ということのようです。
ご一新…とまあ、そんな言葉もずいぶんと遠くなりましたが、明治維新の前後のこと。お殿様にお金を貸していた商人が、廃藩置県で、お殿様でなくなる、という前後に、借金の返済をお願いに行ってきた、というエピソードを聞いたことがあります。
商家に借りたお金がずいぶんと嵩んでいたようですが…。しかし無い袖は振れない。
当時、返済を…と申し入れた商人に、応対に出たお侍さんは「長いのがよいか、短いのがよいか」とご下問されたのだとか。
そりゃ、短い期間で返済してくださるなら、それに越したことはありません。
と思って「短い方が…」と返事をしたところ、いきなり、刀を抜き取って、振り回しはじめた…ので、這々の体で逃げ帰ってきたのだ、という話でした。
長いの、短いの、って刀の長さだったのかい!って話ですが…。
よほど、お金がなかったのでしょう。
こういう、取り立てというのは、かなり難しいもののようです。実際に、支払い能力があるか、無いか、ということとは別に、支払いをしないで済ませようとする方もけっこういらっしゃるのだとか。
じゃあ、無理矢理に回収…と言いたいところですが、それはそれで難しい。本当に無いひとは全然持っていないですから。ねえ。
昔ご縁があって、訪問していたフィリピンの貧困地区では、「サリサリ」という小間物屋をなさる方が時々ありました。だいたいは、何らかの理由で一時的に大きなお金が入った、という方が、そのお金をもとに、小間物を仕入れてきて、それを販売する、という形で成立するのだそうです。
ですが、お金のない方に、先に商品をわたす、などということが発生するらしく…その売り掛けの回収ができないと、次の仕入れができなくなって、閉店…というようなこともしばしばあるそうで…。日本の落語にも「花見酒」という、身内で呑んでしまう話がありましたが…。
やり手の店主だと、売り掛けを抱えている相手の給料日をきっちり覚えておいて、そのお給料を受け取ったタイミングで売り掛けを回収しに行く、ということをなさるのだそうですが、うっかりすると、他所からも似たような借金取りが来ている可能性がありそうです。
そんなことだと、給料日の、当日のうちにスッカラカンになってしまうのかもしれません。
(フィリピンでは月給だと間に合わないで、お給料の前借り、なんていうこともしばしば発生するようですが、月に2回、給与を支払う日を設定するべし、というルールがあるのだ、と、ずいぶん前にうかがいました。いまでもそうなのかは知りませんが…)
そんなにスッカラカンで大丈夫なのかしら?と心配になりますけれど、もともと持っていないとか、売り掛けでなんとか回しているとか、あるいは、無いなりにお互い助け合う、という文化がまだ残っているからなのだろうかしら?と思っています。
お金が本当に無いところから取り立てる、というのは、本当に難しいようです。
結局は泣き寝入り、ということで、実際、ご一新の時のエピソードは結局、返済はしてくださらなかった…ということのようでした。
そんなしみったれた話で、日本では新暦が採用になった、というのがどこまで本当かわかりませんが…。
新暦の新年は、およそ、「冬至」のあと。
冬至を過ぎると、日照時間はのびてゆきますから、春の兆しが見える…とはいえ、その後「大寒」なんていう時期が挟まりますから、まだまだ寒い時期です。
旧暦の新年は「立春」ですから「春のはじまり」です。
体感として、春が近づいてきた、という時期になるでしょうか。
いずれも、「新しい芽吹き」の時期を示唆するタイミングである、というのは、ひとの心が、この季節、「新しさ」を感じるから、なのかもしれません。
そろそろ、節分と立春が近づいてきています。
この春の兆しとともに、新しい1年を寿ぐ、そんな思いをあらたにするのも悪くないかもしれません。










