かんをみがく

クリニックの診療で、いらっしゃった方の頭に触れることが増えました。「頭」というのは、以前も書いていますが、いろいろと考え事をする場所です。
ここは基本的には作業場所で、仮置き場所ですが「覚えておくこと」を長期間置いておく、などのことが増えると、頭はかなりいっぱいになって来ます。
頭がいっぱいになっておられる方を複数みていると、他にも頭の容量を大きく占拠するような事情があることがわかりました。そのいくつかをご紹介します。
たとえば「キャラを作る」というプロセスが持続しているとき。生活のどこかで、演じることを続けていると、その一貫性が重要になります。そのため、「覚えておくこと」がすごく増えるのかもしれません。かなり頭に余裕がないと、続けることは大変です。無理はしていただきたくないのですが、これはこれで、社会での生存のために必要な行動なのかもしれません。
他に、頭の容量をとられている、と感じるのは「他人の価値観で生きている」ような時です。ほんらいの自分自身には無いような価値観を押しつけられて、そのまま、その価値観を保ち続けている場合、というのも、これは頭の容量をけっこう占めています。人によっては大きな負担になっているように見うけられます。
そういえば、「なぜウソをついてはいけないのか」という課題に対して「ウソをつくと、その先、辻褄をあわせていく必要があるけれど、それはよほどあたまが良くないとできないから」という指摘をされていた方がありました。なるほど、キャラを作るのも、他人の価値観を自分のもののように使うのも、どこか「ウソ」をついている、という話になるのかもしれません。
ヒトの頭、というのは、思いのほか、切り換えが苦手で、ついつい、一度はじめた作業を続けがちです。
そして、なんらかの作業を続けたまま、だと、夜に眠っていても、頭が休まらないどころか、むしろ働き続けることで、疲労がさらに蓄積したり、頭自体が熱をもってきたりします。
じゃあ、どうすると楽になるのか?という対処方法が重要になってくるわけです。もったいぶることもなくて、これはシンプルに「ウソをつかなければいい」ということになります。
現状から状況を変化させて、ウソをつかない状態にしてゆくには2つの方向があります。1つは「作ったキャラを本物にしてゆく」とか、「価値観を自分のものにしてゆく」とか、そういう形で、自分自身の本来のあり方を変えてゆく方向です。これは、なかなか自分自身の改造が大変です。他者の…あるいは外的な価値観を、本当に自分の血肉に取り込んでゆくには、自己変革の大変さが伴います。自分が変化してゆく、という予感は、恐怖を伴います。今までの自分が、自分じゃなくなるような喪失感とか、変化への恐怖、あるいはなんとも言えない不安感などが出てきたりします。また、自分を偽ったままであるか、それとも、心の底から変化したのか、の判定を自分でやるわけですが、それも、自分の心を覗き込むことになります。判定はけっこう難しいですから、変えたつもりで、現状維持が続く、ということもあり得ます。
じゃあ、どうしたらよいのか…もうひとつの方向は、「自分の本来のあり方を取り戻していく」ことです。
今まで頑張って、外的な価値基準に沿うような無理をしてきたのは、生存のために必要だったからなのに?という話もあります。
たとえば、「ネコをかぶる」と言いますが、本来の自分を押し殺して、お行儀のよいキャラであることを演じていた人が、そのかぶっているネコを捨てることは、できるのでしょうか?
社会性という話題のなかで、問題が出てくることもあります…。が、思いのほか、「そこまで深刻なことではなかった」というような場合もあります。価値観があまりにも厳しすぎた、なんてこともありますから、ネコを「深く」かぶりすぎていた、って話だけなのかもしれません。
いずれにせよ、自分にウソをついている状態が続くと、どんどん勘が鈍っていきます。現代社会はあまり勘に依存しない構造になっていますから、鈍ったからといって何も変わらないんじゃないの?と思われる方もあるかも知れません。しかし、自分自身の本音とウソの差が、そのたびに自分を削っていく、ということが長いこと続くと、消耗が積み重なってゆきます。どこかで本当に自分自身が消えてしまいそうになったりしかねません。
できるなら、本音をしっかり大事にして、育てて頂きたいものです。ですから、その1つのプロセスとして、自分自身の直観を大事にしてゆくこと、感性を磨いてゆくこと、そして勘をするどく働かせられるようにしてゆくこと、を探していただけたら、と思うわけです。