ただしいことはたくさんある

わたしの師匠と仰ぐ方のひとり、東山紘久先生は、「正しいことはたくさんあるんです」と、講義のたびに…とは言い過ぎですが、しばしばおっしゃっていた、ように記憶しています。
(東山先生、最近はどうされているのかなあ…などとインターネットで検索をかけたら、2021年の3月に逝去されていました…79歳でいらっしゃったとのことです。ご冥福をお祈りいたします)
世の中にはいろいろと議論が分かれる話があります。
たとえば、うつ病のひとに「頑張れ」と言って良いのか、悪いのか。
たとえば、子どもは厳しく育てるのが良いのか、甘やかすのが良いのか。
たとえば、穀物菜食が健康に良いのか、悪いのか。
以前湿潤療法や糖質制限という「あたらしい治療方針」について書いたことがあります。
たとえば、湿潤療法が良いのか、悪いのか。
たとえば、糖質制限が良いのか、悪いのか。
わたしの返事は「どれも、これも、時と場合と、ひとによる」ということになります。
ある時、正しかったことが、状況が変化すれば、間違いになるわけです。
世の中には、ひとつの健康法なり、治療法を掲げておられる先生がおられます。それ「だけ」でなんとかしてしまう、という請願をかけておられる場合は、本当にそれだけ、でなんとかなさっているのかもしれませんし、どうしてもなんともならない場合には、他所に紹介されているのかもしれません。
いろいろな事情で、そうした「ひとつだけ」という世界を垣間見たりしましたが、いずれも厳しい茨の道があります。決して「これだけ」というのは、容易い道ではありません。
もちろん、よそ見をしないで済ませる分、修行が進む、という考え方もあります。
ボディートークの創始者である増田明氏は、その体系の中に、何を入れて、何を入れないか、ということをかなり意識的に線引きしたような気配があります。そして、彼自身は学んできた、他流派の技術や思想を敢えて回避していたようにも思えるところがありました。
わたしは、興味が広くあちこちに飛びましたし、当時の師匠がどんなものを見てきたのか、にも興味がありましたので、そういう、増田氏が見てきたけれど、ボディートークの中には入れないことにした、という物事をわりと追いかけたりしました。
そうやってみると、最初の人が歩いたところを次の人が歩いて…とやって出来てくる「道」の意味が見えてくることがあります。これは、誰もいないところを、自分の足で選んで進まなければ分からないのかもしれません。
そう教えて貰ったから。師匠がそうだと言っていたから。というのは、とても楽なことです。が、どこからどこまで「師匠の言ったこと」が適応されるのか、は、自分で考えなければならないのかもしれません。
「正しい」ことは、たくさんあります。
その中で、いま、ここで、あなたと向き合ったときに、あなたが元気になってゆく「正しさ」をわたしは、その度に選びたい。
その「正しさ」は、しかし、別の人にはまったく間違いだったりするかもしれません。
そもそも、正しさを担保するものすら、無いのかもしれません。
でも、「いまここ」の瞬間には、それが正しいと響いた…ということが大事な時があります。
わたしは、臨床というのは、そういう瞬間の積み重ねで出来ているのだ、と思っています。