だんごどっこいしょ

わたしは落語が好きで、以前いろいろと聞いていたこともあったのですが、落語…ないし、とんち話の中に「ばかむこ」というのが出てくる話がちょこちょこ、あります。
そんな話のひとつが「だんご…どっこいしょ」的な話になっています。

ばか婿の話(どっこいしょ)

大ばか者が嫁を貰った。それで嫁の家になにがなんでも出入りしなくてはならない。
ある日嫁の家へいったところ、姑は大変喜んでだんごを作ってご馳走してくれた。婿はだんごがおいしかったとみえて、帰ったら嫁に作ってもらおうと思った。
家に帰るまで名前を忘れないようにと「だんご、だんご」と唱えながら道を急いだ。しかし途中に堀があったので「どっこいしょ」と堀を飛び越したとたん、だんごがどっこいしょに変ってしまった。
「どっこいしょ、どっこいしょ」と唱えながら家に帰った婿は嫁を見るなり「どっこいしょをこしゃい」と頼んだが、嫁は「どっこいしょなんて食べたことがない」と答えた。婿は腹を立てて「わかんねえってそんなばかあっか。」と嫁の頭をなぐった。すると嫁は頭をかかえて「こんな大きなこぶができた。まるでだんごみてえだ。」とよまいごと(ぐち)をならべた。婿は嫁のこぶを見て、「ほんとうだ、だんごのようなこぶがでた。」と言ったとたんにだんごを思い出し、「だんご、だんご、だんごのようなこぶつくれ。」と一人ではしゃぎまわったそうだ。

https://adeac.jp/otawara-city/text-list/d100080/ht032360

バリエーションもいろいろとありますが、現代的な視点で、この「婿」を評すると、ものの名前が覚えられない、とか、ひとつのことに集中したらものの優先順位も忘れてしまう、とか、大事な嫁に容易に暴力を振るってしまう、とか、複数の問題点を挙げることができます。

こういう話を聞いたときに、そもそも、あまりに荒唐無稽すぎる、となると共感されるような話にはなりづらいものです。「さすがにうちの婿の方がまともだ…」と溜飲を下げるために話が残って、伝わってきたのではないか、と考えると、なにかと思うところがあります。

こうした男性のところに「嫁」として「貰われる」というのも、なかば人身御供のような話であったのかもしれません。そういえば、猿や鬼のもとに嫁に出す系の人身御供の物語も、昔話には結構あります。同じような心持ち…だったのでしょうか?
現代の日本で、SNSなどを眺めていると、さすがにダンゴの話題で暴力…なんていう話は出てきませんが、夫についての悩みごとで愚痴をこぼしておられる方も結構いらっしゃるように見受けられますから、まだこうした話にも需要がある、と言えるのでしょうか?

わたしの精神科医の師匠は、「あまりにも世の中が便利になりすぎた。その割に、人間関係は昔ながらの不便な状態が続いてしまっていて…だからその人間関係に我慢できなくなっているひとが増えているのではないか」という考察をされていました。

「家族も他人」としばしば書いたり、言ったりしていますが、どこかで「乳児の時の親子関係」のような状況を、いまだに抱えている人もいるのかもしれません。

つまり、自分が癇癪を起こして、大暴れしても、母は、自分を見捨てない、というようなイメージを持ったままでおられるような。
赤ちゃんは小さい存在ですが、いい大人になっていると、腕力からして違います。
癇癪の起こし方によっては、人間関係に亀裂が入ることだってあるでしょう。

感情というものを、そのままぶつけても、相手はそれで平気だ、と勝手に決めつけるのは良くないことかもしれません。
昔話の中では、ダンゴのようなタンコブを作られたお嫁さんも、そのまま結婚生活を続けておられた…様子ですが、なかなか我慢するのも限度があります。

くれぐれも甘えすぎ、感情をぶつけすぎ、癇癪を起こしすぎ、には気をつけていただきたいものです。