どっちが悪い?

悪いと知りつつ、悪いことをする、という場合と、
悪いと知らずに、悪いことをする、という場合。

どちらが罪が重いと思いますか?

そりゃ、悪いことを悪いと知りつつやっているひとの方が悪いでしょう。いわゆる「確信犯」ではないですか。ねえ。悪いことをする意志がある方が悪いってことになるんでしょう?

(*確信犯、という言葉は、本来は「思想信条や宗教などの考えで、自分の行動は正しい、と強く信じて行動しているひと」のことを指すらしいです。わたしも今回調べてはじめて知りました…まあ、誤用らしいですが、一般的には「悪いと知りつつ悪いことをするひと」という意味で使われています)

お釈迦様が、この辺をあつらえ向きのたとえ話で説明されています。

法律上はどうか、というのは措いておいて、お釈迦様の教えとしては、こうです。

1枚の鉄板がある。とても熱くなっている。
この鉄板に、他人の手を押しつけるとしよう。
熱いということを知っている者は、その押しつける強さに、幾分かのひるみが出るだろう。
熱いということを知らない者は、容赦なく押しつけるだろう。

…ということで、知らない方が罪が重くなる、というのが仏教の教えです。

鉄板、ってお釈迦様がご存命の時からあったのでしょうかしら?とかいろいろ不思議に思うことはありますが…。

無知の罪、ということをおっしゃるのが仏教の教えの中にある、ということだと思います。

悪気があったわけじゃないんだ…という言い訳を、わたしたちは時々使います。

悪気がなかったことは理解した上で、でも。
悪気がなかった方が、むしろ罪は重いのかもしれません。
そして、これは、難しいことですが、わたしたちが気づかずに重い罪をおかしているかもしれない、ということにも繋がります。やっぱり毎日懺悔が必要になるわけですね…。