なにげない一言

昔、『暮しの手帖』という雑誌をずいぶんと興味深く読んでいたことがありました。
ずいぶんと少女趣味だったのかもしれませんが、当時、彼らがやっていた商品テストは、かなり現実的な記事になっていたように思います。
今から考えると、そういう実験と評価を「暮らし」に関わる広範囲を対象に行う、という姿勢と、その実践が、かつての「家政科」のあり方そのものだったのかもしれません。理系の女性の受け皿であった、という話をどこかでチラッと読みました。確かに理系っぽい実験もけっこうあったように思います。
電子レンジの初期の頃の記事では「こんな器械がなくてもぜんぜん平気。せいろでふかしたら良いし、これ自体まだまだ加熱ムラがあって、改善の余地がある」みたいな論調でした。今から考えると、電子レンジ専用の食材が供給されるまではまだ時間があります。いわゆる「火」を使わないで加熱できる道具と、それを前提にした冷凍食品の供給、という構造が出来るまでは、単に「目新しいだけの、使えない道具」だったのかも知れません。
そんな実験記事だけではなくて、『暮しの手帖』にはいろいろな有名人(?)が記事を書いていたように思います。そんな中に、聖路加病院の小児科医であった、細谷亮太氏が書いた文章があったのだ…と記憶しています。
小児科医であった氏は、診療の時に、子ども向けのキャラクターを身にまとっていたのだ、という文章でした。具体的には、ネクタイに、ということで、全面に大きなスヌーピーの柄が描かれているものを写真で載せておられたように記憶しています。
こういう文章を、ふんわりと読んでいる時、思いのほか心は無防備なわけで、そういう時にストン、と心の奥に入り込むのだろうと思います。
わたしも、自分のネクタイを求める時に、ついつい、キャラクターの絵が描かれているものを選ぶようになっていたのでした。とはいえ、わたしが医師になった頃には、スクラブ、という手術着みたいなものを着るのが主流になりつつありました。ワイシャツにネクタイ、そして、長い白衣、というスタイルは、だんだん時代錯誤になってきていた…そんな時代でした。
最近は、ネクタイそのものの生産・販売数が激減しているようです。クールビズとして、ネクタイをしめないスタイルが定着してきたからでしょうか。そういえば、ネクタイピンなども、昔は手軽なものがありました(記憶違いでなければ、100円均一の店舗でも販売していたように思います)が、最近は、めっきり取り扱っている店舗が減りました。ネクタイ柄にキャラクターが入っているような、遊び心が載ったネクタイもどんどん減ってきたように思われます。昔はキャラクターグッズのラインナップに、ネクタイが含まれていたりしましたが、そういうものも減ったようです。時代の変化ですね。
なにげない一言の話でいうなら、別のどこかで読んだ文章は、わたしの中に突き刺さり、そのままで生きています。
「こんなにひどくなるまで何故受診しなかった」と叱責するのではなく「よくここまで我慢したねえ」と言ってあげてほしい。
たしかに、今さら「早くに受診しておけば」と言ったところで仕方ないわけです。
世の中には「手遅れ医者」という小咄もありました。どんなひとが来ても「手遅れだ」と言いつのるのだそうです。
階段から落ちてホヤホヤの患者にも「手遅れだ」と言い抜ける、というのがオチですが、家族としては「じゃあどうすれば?」って思いますよねえ。
「もっと早くに受診しておけば…」と言いたくなる経験を、わたしもしたことがあります。
ちょうどこの「よくここまで…」の文章を読んだあとのことでした。
ですので、「もっと早くに受診しておけば」の言葉を飲み込んだのでした。
「こんなにひどくなるまで…!」という表現を使うとき、自分の中には、どこか「怒り」があるように感じられます。
そして、その言葉が患者に向けられる時、患者は「叱責された」と感じるでしょう。
そういう怒りを、患者に向けることが適切かどうか、ということには一考の余地があるように思います。
アドラー心理学的な考え方をするならば、この時に医師が発する「怒り」は、どうしようもない現状をなんとかして変えたい、という精神性の発露なのかもしれません。
とはいえ、現実的には怒りの感情をどのように使ってみたところで、病状が改善するわけではないですし、状況が良くなることもありません。
こういう「怒り」に似たような状況が、たとえば、遅くに帰宅した子どもを叱る親、という構造にあるのかもしれない、と思います。
心配が嵩じて、「どこに行ってたの!」と、怒りをぶつける、というのは、どこか、家族である、という甘えがあるのかもしれませんし、それまでの心配と、「早くに帰ってきてほしい」という思いを実現させようとして、「怒りという感情」を使っていたと言えるのかもしれません。
そういえば、震災の経験談の中で「地震の直後に『許さないぞ!』という怒りが芽生えてきた」という話を書いておられた方がありました。
「子どもが無事でなければ、許さない!」という怒りがふつふつと湧いてきたのだ、と。
この怒りも、同じような意味合いで、子どもの無事を実現するために使われた感情なのだろうと思います。
願わくば、それらの怒りを、守るべき対象にぶつけないようにして頂きたいところです。
ついうっかり、本来なら守るべき対象に、その怒りをぶつけてしまいがちですので…。











