ひとりずもう
ひとりずもう ―ずまふ 【独り《相撲》 】
① ひとりで相撲をとるまねをすること。神事・大道芸などとして行われた。
② 相手もいないのに,また,周囲の事情や結果を考えずに,ひとりで意気込むこと。「―をとる」
ひとりで相撲をとる真似、というのが神事だったり、大道芸だったり、という時代があったのだそうです。
あれ?そもそも相撲って、そのものが神事だったはずですけれど…。
こちらで紹介されている「ひとりずもう」は、神様との力比べ、ということになっているみたいですねえ。YouTubeも同じところからお借りしました。
現代の日本語では「ひとりずもう」と言うと、どちらかというと、二番目の意味で用いられることがもっぱらになっているような気がします。
つまり、相手がいないのに、ひとりで力んでいるような、そんな状態。
相手が「いない」というのは、まあ、言いようで、ちゃんと相手に向き合っていないところで、というのが多いのでしょうか。
時々、クリニックでも、そういう話を聞くことがあります。家族だったり、何かの相手があって、その方との間で、気を回しすぎている…なんていうことが多いようです。
で、「いちばん肝腎なところですが、お相手の方に相談されていますか?」っていうと、きょとん、とされる。
こちらで「良かれ」と思っていろいろ考えてみたところで、お相手の方が、良いと考えられる方法は全然違ったりするわけでしょうに。
いろいろ気を回しすぎて、「こんなことを言ったら」「あんなことをしたら」って心配されていたりする。
話が聞ける相手なんだったら、一度、尋ねてみたら良いわけです。
そこを、相手の気を悪くしそうだ…とこちらで一生懸命考える…というのが、「忖度(そんたく)」なんでしょうねえ。
戦前の天皇陛下が、食事について「美味しい」とうっかり口にすると、その料理が出てくるとか、あるいは、「おいしい」を言わなかった日の料理長が叱責されるだとか、そういう話があって、なかなか、素直な表現がしづらかった、というような話がありましたが、忖度しすぎると、相手もけっこうしんどくなってきたりします。
ひとりずもうになっていませんか?っていうのは、ちょっと考えていただくとよいのかもしれない、って時々思います。










