ものがたり
わたしの臨床では、ひとの身体からの声に耳を傾ける、ということを時々やっています。
通常の保険診療では、そこまで時間をかけられないことも多いので、もっぱら、自費の施術の時に、深くまで掘り返す、ということをやるわけですが。
じっくりと身体に向き合っていると、身体から、いろいろな声が上がってきます。
それらをつなぎ合わせて、どう読み解くのか、どういう物語を紡ぎ出すのか。
たとえて言うなら、花筏のようなものなのかもしれません。
たくさんの花びらが、川面に浮かんで、流れていきます。
じつは、この段階では、無数の物語があります。そして、無数の物語が、それぞれに絡み合っているような状態です。
たくさんの糸が、いくつかの点を経由して、様々な流れを作っているのは、ひょっとすると、糸かけ曼荼羅の図のようなもの、なのかもしれません。

ものがたり、というのは、こうした、たくさんの糸が重なっているような中から、一本の糸を選んで、それを辿っていく、そのような趣があります。
つまり、曼荼羅として見えているもの全体ではなくて、その中の特徴的な糸の一本をゆっくり追いかけているわけです。
ものがたり、とは、つまり、語り得ないものを、語らない、という形で整理したあとの線です。それを一本の線で順に追いかける、というところも、現実世界に起こる様々な反応とは異なります。
全てを同時に把握するということは、ひとにはかなり難しい作業であり、かつ、それはなかなか納得を呼び起こしづらいのでしょう。
その中の1つを、丁寧に追いかけることで、時間をかけて、納得を作ってゆく。
そういうはたらきが、ものがたりの中にはあるように思います。
ひとは、時には、自分のためだけのものがたりが、必要になることがあります。
道に迷ったとき
壁にぶち当たったとき
自分を見失ったとき
あるいは
何か大きな跳躍が必要なとき。
あなたのものがたりに、耳を傾ける。
あなたのものがたりを、つむぎなおす。
ゆっくりした施術では、そんなこともやっています。