わがことのように

親身になって、ひとの話を聴く、ということをなさる方があります。
現代ではそのようなことが、ある種の仕事にもなりました。
心理カウンセラーと呼ばれるような方は、いわば、ひとの話を聴くことがそのお仕事の中心になります。
臨床心理士の認定など、臨床心理学というものを日本ではじめた第一人者のひとり、河合隼雄氏は、その講演の中で、「カウンセラーというのは、なにもしないのだ」というような言い方をされていました。
「なにもしないで、ただ話を聴くのが、カウンセラーの仕事だ」とか、「世の中の人は、たいてい皆、何かをして、お金をもらっているから、わたしは何もしないでお金をもらう仕事をすることにした」などと、「何もしない」というところをずいぶんと強調された講演だったように記憶しています。
実際に「なにもしない」というわけではなくて、傍目に見て「何もしていないように見える」状態でありつつ、その話を聴くことにこころを砕いているわけです。
悩みごとや困りごとがあれば、あたかも「わがこと」かのように。
カウンセラーをやっておられる方でなくても、親しいひとの悩みごとや困りごとに直面すると、どこか、わがことのように、一緒に悩み、困る、ということもあったりします。
そのように、一緒に歩んでくれる方がある、というのは、相談したひとにとっては、ずいぶんと支えになることでしょう。
とはいえ、一緒になって苦しみ、病むことで、相談を受けた方が消耗されることもあります。
どこか冷たい、と言われるかもしれませんが、「これは自分のことじゃない」という、ある意味さめた視点を、同時に持っておくことが、ひょっとすると大事なのかもしれません。






