エンドポイントと代理エンドポイント

臨床医学の研究をしようと思うと、けっこう大変なことがあります。

ある治療方針が有効か、そうじゃないか、ってことを判定しようとするなら、本来なら究極的な「死亡率」とか「余命」とか、そういうデータを集めなければなりません。

となると、場合によっては、追跡の期間が長期にわたることになります。

10年生存率、みたいな指標を取得しようとしたら、少なくとも10年の追跡が必要なわけですから、結果が出てから次の研究…と言っているうちに、定年がやって来そうです。

なので、そういう「真のエンドポイント」の研究も大事ではあるのですが、そういう真のエンドポイントに近い、けれども早期に判定ができる内容の「代理のエンドポイント」を設定します。

たとえば、高血圧の治療なら「目標の血圧に落ち着いているかどうか」とか、あるいは、心臓系のホルモンの値とか。
たとえば、糖尿病の治療なら、血糖値が落ち着いているかどうかを採血して評価する、というような話になるわけです。

こういう、医学の研究の中だけでも、けっこう大変な話ではあるのですが、さらに大変な分野があります。

子育て、です。

子育ての「エンドポイント」をいったい何に設定するのが良いのでしょうか…?

育てた子どもの「幸福」?

じゃあ、幸福な人生だった、と判定するためには…

ひとの評価については「棺を蓋いて事定まる」という表現があります。生きている間はいろいろなことがありますから、定まらない、とされています。どれだけ立派に生きて来られた方でも「晩節を汚す」という言葉があるように、晩年にいろいろと問題を起こしたりして、評価を下げることだってあり得ます。

個人のしあわせであれば、もうちょっと前に判定できるのかもしれません。が、きっと、その頃には、子育てをしていた親は、先に棺に入っている、かも知れません。

結果を見てから、反省して、子育てをやり直す、ということは、どう考えてもできないわけです。

…となると、結末を待つまでの間に、なんらかのテコ入れをしたい、というのが、親心になるのも無理はないでしょう。

しあわせ…?しあわせの代理エンドポイントとしては、たとえば、安定した高収入と、尊敬される職種、とかどうでしょうか?

それでも、だいぶ時間がかかります。では、安定した高収入に繋がる、高学歴?

高学歴に繋がる、成績の良さ?

そんなこんなで、代理のエンドポイントの、さらに代理の、さらに代理、くらいの感覚ではありますが、直近の指標として「成績がよいかどうか」みたいなことが子育ての基準にされる、なんてことがあったりします。

じゃあ、本当に、この「成績の良さ」が、真のエンドポイント「こどものしあわせ」に繋がるのかどうか、という話が次にやってきます。

仕事を「ハックする」という表現が最近使われるようになりました。会社での勤務実態を査定されるようになった会社で、査定される動作だけを繰り返すようになった社員、というのがいるそうです。評価の数値だけは良くなりますが、実際に会社が求めていたような結果には繋がっていない、というのが実状だったりします。

成績の良さが、本当に子どものしあわせに繋がっているのかどうか…?これも成績を「ハック」しているようであれば、しあわせには繋がっていない、ということだってあるのでしょう。

ところが、そういう遠大な視点はなかなか得にくいのが、特に現代社会における難点のように思います。それに加えて、目の前で、隣の子どもとの比較が始まったりすると、目も当てられません。

なかなか本当に難しい話です。

ですが、子どもについての指標を見る時に「これは代理エンドポイント。真のエンドポイントとは一体何なのか?」と、いったん考えていただく、そんな余裕を持って頂きたいのだ、と切に思います。

そして、もうひとつ。

今までも何度か書いてきていますが、親子であっても、家族は他人です。親が思った「真のエンドポイント」が、子どもにとっても目指すべきものとは違う、ということだってあります。親が思う「子どものため」が必ずしも子ども本人をしあわせにしないのだ、と承知おきください。