コンフォートゾーンとストレッチゾーン
システマ、というロシアの武術…武術だけではなくて、人生をどのように過ごすか、ということの智慧がその中には山盛りに入っているのだということらしいのですが…に、以前ご縁があって、接したことがあります。それ以来、時折、書籍などを拝見することも増えました。

もう10年近く前の本になりますが、この本もとても興味深く読みましたし、その時にもずいぶんとご紹介したのを、今でも覚えています。実は、Instagramをはじめてから、あらためてご紹介もしたりしていました。(今見ると2024年の10月でした。すでに半年ほど前のことになっていました…)
この本の監修として入られている北川貴英さんが、システマを日本に紹介された方のお一人なのだそうですが、以前「コンフォートゾーンとストレッチゾーン」ということを書いておられました。
コンフォートゾーンというのは、安全地帯みたいなものです。その範囲にいるなら、快適で、つらいことは無い。
まずはここの確保が大事、ということになります。
しかし、コンフォートゾーンに引きこもりっぱなしだと、きっと、自分自身の成長というのは得られません。
宇宙飛行士が無重力の環境で生活をしてから、地球に帰還すると、自分の足で立てなくなる、というような話がありました。無重力環境では、ぜんぜん重力の負荷がかかりませんから、筋肉がずいぶんと早くに弱まっていくそうで、なので、彼らは無重力空間にゴムベルトなどを持ち込んで、せっせと筋トレをやっておられるのだそうです。
そのような、ちょっとツラいトレーニングをする、というのが、いわば「ストレッチゾーン」に踏み込むことになるのだろうと思います。
そして、少しずつ、自分の力がついてくると、今までのストレッチゾーンが、コンフォートゾーンに変わっていったりするのかも知れません。そうやって自分の世界を拡げていくことができる、とも言えるのでしょう。
小さい子どもたちも、ちゃんと帰ることができる場所が安定していると、探索を始めるようになります。
他人を警戒しつつも、他人に笑顔を見せることができるのは、十分にケアを受けていて、安心できる、安全地帯がある子どもたち…。
…なのだ、と、思っていました。
ご縁があって、10年ちょっと前から、フィリピンの田舎を訪問することを重ねていました。
そういう訪問先で、いろいろな地域を覗く機会を得て、ちょっと考えが変わりました。
他人と顔をあわせて、笑顔が向けられる、そういう安定した子どもたちも、います。
が、基本的には、やはり、外国人の男に出会ったら、泣くのが普通の子どもなのだろうと思います。泣いて、親の懐に逃げる。やっぱり親のもとが安全地帯なんだろうな…と思うことがありました。
一方で、「初対面の外国人」にすら笑顔を振りまく子がいました。そんな子のひとりを訪問したのは、その子には、割と深刻な病気があったから、なのですが。一見すると、そんな様子をうかがえることもない程に、笑顔だったのが印象的でした。
安全地帯が「全然無い」という子どもは、不快なことがあっても、泣いてはいられないのです。瞬間、瞬間、その時に出会う他人に、愛想を振りまくことで、必死に生きているのだろうと思われました。
大きな声で泣くことができるのは、安全な場所を知っている、あるいは今この場所が自分にとって安全であると知っている、そういう「強い存在」だけ、なのです。
全てがストレッチゾーンであるような生活は、本当に自分の命を削っていくように思われます。
ちゃんと、コンフォートゾーンが確保できている、というのは、本当にありがたいことですし、疲れている時には、そこに引きこもるのも大事な時間です。
その上で、コンフォートゾーンを拡大していくために、ストレッチゾーンに踏み込むことを、無理なく進めていけるような、そのような生活が理想的なのではなかろうか、と思います。