ゼロ・トレランスとハームリダクション
突然ですが、割れ窓理論、ってご存知ですか?
窓が割れている…ってどんな状況なんだろうか、と思います。昔、校内暴力というのが頻繁であった時代は、学校の窓が割れたままだった、とか、そういう話がありました。まあ、ひどい時代だったのだろうと思います。
わたしが通うころは、そこから一段落ついた、それなりに落ち着いていた時代だったと思いますが、なにかの折りに、学校の対応がひどかったことがあって、その悩みを家で話し合っていたときに父が「こういうときに、学校の窓ガラス、バンバン!って割ってしまいたいと思うなあ」なんてことを口にしていましたっけ。それなりの事情、というのがあったのかもしれません。生徒の方にも、先生の方にも、いろいろと問題があった、ということでしょうか。
窓ガラスの入れ替えも、結構な手間暇と、それからお金がかかります。
あまりに頻繁に割れていると、年度の途中で予算がなくなってしまう、なんていうこともあるのだとか。
ええと、脱線しました。窓ガラス。
これ、一カ所でも割れたままで放置していると、他の窓ガラスが割られることが増える、ということらしいです。
落書きなんかも似たようなものになるのだそうで、どこか一カ所でも落書きされているところがあると、そこに続けて、落書きが増えていくのだ、という話なのだとか。
そして、窓ガラスが割られる、とか、落書きが増えていく、というような些細なことから、どんどん地域全体の治安悪化につながっていくのだそうです。
「なので、どれだけ小さくても、秩序をきっちり守るように取り締まることが大事」というのが、この理論の根っこにあるようです。
こうした、「小さなルール違反も許さない」という思想を「ゼロ・トレランス」と呼ぶことがあります。
ひとつも許さない、という意味で、「ゼロ」らしいのですが。なかなか厳しい規律を守る、守らせる、という姿勢を保つのだそうです。なかなか大変なことです。
目の届かないところはどうするのか、隠れて行われたルール違反はどう対処するのか、とか、ルール違反を許さない、を実行する上で、違反した人にどのような処遇をするのか、とか、運用の問題としてはいろいろありそうです。
みんなが守れるルール、であれば、「守りましょう」で済む話ではあるのだろうと思います。
が、守れない事情がある、という時にはどうしたら良いのでしょうか。
たとえば。
病院の中で飲酒すると、問答無用で強制的に退院、というルールがありました。
じゃあ、なんらかの緊急入院で、医学的には入院が必要…だけれど、その人が飲酒した、となったら、やっぱり治療を中断して、強制退院、なのでしょうか?
アルコール依存症というのは、なかなかやっかいな病態ではあります。が、それも治療の対象になったりします。
もちろん、お酒を飲まないで済ますことができる場合は、それで良いのですが…。
病院の話でいうと、2000年前後に、病院敷地内が禁煙になりました。院内に喫煙所があってはいけない、というルールになったのか、入院中の患者さんのうち、禁煙ができていない方が、敷地の外ギリギリに並んで、喫煙している風景が、あちこちの病院で見かけられるようになったのが印象的でした。
それまでは「喫煙所に行くとさ。肺がんの患者さんがタバコ吸ってるんだよねえ…」なんていう、いろいろと悩ましい話題を、それなりにノンビリぼやいたりしていたのですが…。
ゼロ・トレランスという思想が、問題無く実践できるなら良いのですが、「病院内での喫煙は許容しない」となったときに、どうしても喫煙したい人は、どこかではみ出てしまう、ということになります。
はみ出した人を「排除」してゆけば、敷地の中では、とても「良い」環境が保たれる、という運用なのかもしれません。
敷地の中を大事に考える、という考え方であれば、これはとても有用な思想と実践です。
ところで。
この「はみ出した」人は、じゃあ、どうしたら良いのでしょうか?
禁煙ができない、という方も、お酒がやめられない、という方も、いわば治療が必要な方、ということになります。
(このあたり、なかなか微妙な話でもあります。「治療」が本当に必要なのかという話を考えると、たとえば、戦前は同性愛者が「治療」の対象になっていた、というような歴史的な事実を参照したくなります)
つまり、なんらかの援助が必要なひとであるわけです。
たとえば、全身麻酔の手術を行う時に「禁煙しておいてくださいね」と事前に麻酔科の先生がおっしゃいます。
禁煙ができていないと、全身麻酔をかける予定をキャンセルされることもありました。
これは、喫煙者が、全身麻酔の合併症が多い、ということを問題にした形で、麻酔科学会も、「できることなら禁煙を」というアナウンスをしています。
ただし、どうしても緊急で手術しなければならない状況にある方だってあります。タバコを吸っている人は全身麻酔の手術が受けられない…というような「ゼロ・トレランス」の実践は現実的ではありません。
なるべく早くに禁煙を、そして、可能なら、手術をきっかけに、禁煙をして、その後も継続を、と考えるのは決して悪いことではありません。

https://anesth.or.jp/files/pdf/kinen-p-3_20210121.pdf
が、それと、「喫煙している人には医療を提供しない」という話はぜんぜん別の水準の話になります。
喫煙している…というのは、実際にはいろいろと問題があるわけですから、出来ることなら、なるべく問題が起こらないように…ということをやっていくための考え方として、「ハームリダクション」という考え方があります。
ハーム・リダクション(英語: harm reduction)とは、個人が健康被害や危険をもたらす行動習慣(合法・違法を問わない)をただちにやめることができないとき、その行動に伴う害や危険をできるかぎり少なくすることを目的としてとられる、公衆衛生上の実践、指針、政策を指す。主に嗜癖・依存症に対するものを指し、直訳すれば「害 (harm) の低減 (reduction) 」となる。
許容しつつ、可能な限り、悪影響が少なくなるように援助してゆく、という実践方法です。
このハームリダクションには、「ダメなことを許容している」点で、「間違ったメッセージを伝えている」という批判もあります。
このあたり、ゼロ・トレランスの実践を目指す方々からすると、許しがたいのでしょうけれど、現実対応として、なんとか上手に折り合いをつけていただきたいところです。









