タイプ論つづき

先日、タイプ論と題して、類人猿診断の話をちょっと書きました。
チンパンジー、ゴリラ、オランウータン、そしてボノボ。
ヒトの、人間関係における目標や興味で分類すると、この4パターンに分けることができる、というものです。それぞれのタイプで、大事なこと、目的としていることが異なります。
類人猿診断のワークショップでは、タイプごとのグループに分かれて、課題に取り組んだりするのですが(たとえば、折り紙を使って高い構造物を作ってみる、など)、タイプによっては、呈示された課題に取り組むことよりも、今、集まったメンバーでお喋りすることの方が優先される、という価値観のことだってあります。
それでは課題が終わらないけど…?って心配するタイプは別にいるわけで、そういうタイプからするとヤキモキするわけですが、学校の課題でもないし、ワークショップの課題くらい、やらなくても(できなくても)困らない、っていう価値観だってありです。それより大事なことがある!っていうのも、ひとつの発見です。
それだけ、タイプによって、大事にしているものが違うし、自分が「普通」だと思っていることが「普通じゃない」ことだってあります。
一部のタイプは、他のタイプに憧れることがあります。
「ああなれたら良いよなあ」って考えるわけです。
昔、病棟で仕事をしているときのことですけれど、患者さんで、ひたすら泣いている方がありました。看護師はそういう方のお話を聴きますから、泣いている事情なんかをお聞きして、解決策を提案したりします。とはいえ、現実を受け入れられない、というような状況になれば、しばらく受容までには時間がかかったりするものです。
看護師という職種になると、そういうところで泣きながら悩み続ける時間がもったいない、って考えるようなタイプが多いように見受けられます。いつまでも事実を受け入れられずに涙を流している方を見て、もちろん、その方の横で話を聞くけれど、じゃあ、自分がああいう生き方はできるか?と考えると、それはできないよねえ…というような話をしたことがあります。
もちろん、患者さんが受け入れられないのをせかしたり、切り捨てたりするわけじゃなくて、患者さん自身がどうやって自分の中で折り合いをつけられるだろうか…って試行錯誤するわけですけれど。
「ああいう風になれたら」って憧れるかどうかは別として、タイプが違うと、マネをする、とか似たようなことをする、というのが難しいわけです。
わたしが以前、類人猿診断のワークショップに参加したときに、一度、自分のタイプとは異なるところに行ってみよう…と考えたことがあります(当時、頻繁にワークショップが開催されていて、主催者も「いつも同じところではなくて、たまには別のグループに入ることも良いよね」と声かけ頂いていました)。で、余所のグループに入った…のですが、これが、本当に違和感が大きかったようです。「あのひと、絶対にここじゃないよね…」ってグループの他のメンバーがコソコソと会話しておられたそうです。
わたしは頑張って、そこのグループに溶け込んだつもりでしたが、周りから見ていたら、中年の男性が、魔法少女のコスプレをしている、くらいの違和感だったのかもしれません。
そういう違和感のことを考えると、やっぱり、同じタイプを真似るのが平穏な気がします。違和感くらいなんてことない、違和感を抱えたまま突き抜ける!という考えもありですが。
複数の人員で仕事をしていたりすると、仕事でキラリと光るような動きを見かけることもあり、そういう先輩が、憧れになったりします。自分の将来像のような形で、先輩のあり方と自分のあり方が上手く重なるような理想的な相手がいると良いのですが、先輩のタイプが自分と大きくかけ離れていると、マネしたくても上手にマネできない、なんてこともありそうです。
無理に形だけマネしようとすると「イタいコスプレ」的な存在になりかねませんし、そもそも自分自身に無い要素の部分をマネしようと頑張ると、本来の自分を否定しなければならなくなったりしかねません。それはつらいですし、実りの少ないものに終わりがちです。
無理なくマネできる先輩は、そう考えると、同タイプの先輩です。できたら、そういう相手をみつけて「ああいう風になる」って決めて、マネしていくのが良いのだろうと思います。
とはいえ、自分が持っていない要素を発揮している人に憧れるのも、人間の心理としてはとてもよく分かりますし、極めて自然なことです。そういう憧れが出てきた時にはどうしたら良いのでしょうか?
この質問は、大変難しい問題だと思います。わたしがひと通り考えてみた、「別のタイプの要素をどう自分の中に作り上げるか」について、一応の結論を書きます。
憧れた相手の行動を、一度詳細に分析、完全に分解して、その中のどの部分を憧れたのか、憧れた部分の本質は何か、っていう事をしっかり追求します。そして、その本質の部分を、自分が実践できる形で取り入れるには、どういう形に変えるべきか、を検討して、自分にあった形にまで変形させる、というプロセスを経てもらいます。ただし、そうして出来上がったものを「コピー」と呼んで良いのかどうか、は分からないくらい、変形していると思います。
だからやっぱり、同じタイプをロールモデルに設定するのが、手間が少なくて良いのですが…。