チェーン店の料理

先日、子どもの用事で出かけた時に、とある、有名な中華チェーン店で昼食をとりました。
複数の店舗で、それぞれマニュアルがあるのでしょうが、ほぼ同じクオリティの料理が食べられる、というのは、とてもすごいこと、だと思います。

一方で、家庭料理というのは、同じように作っているつもりでも、まるで同じ、ということは滅多になくて、味付けにばらつきが生じる、というのがまあ、一般的な話になります。

チェーン店の料理は、そういうばらつきを極力なくした形のマニュアルがあるのだろうと思いますし、あるいは厨房で働いておられる方のトレーニングも大事なのだろうと思います。このばらつきの少なさを維持するのがやはり、チェーン店の重大なポイントだろうと思います。一方で、こうしたチェーン店の味が好き、という方であっても、毎日3食が同じ味の料理、となると、けっこう飽きてくるのではないか、とわたしは心配したりするわけです。

…と、チェーン店の料理の話、なのですが、料理のことを考えているのではなくて、わたしの臨床について、そして研究について、チェーン店の料理、というたとえ話として考えているところだったのでした。臨床のことを、論文にすることがあります。そういう論文を、どう作っていくか、どう「定まったレシピ」にしてゆくのか、というのが、いずれ課題になってくる、と思ったからです。

鍼灸の効果について、いろいろと論文が出てくるようになりました。たとえば腰痛や坐骨神経痛には、鍼灸の、特に鍼治療が有効である、ということが大規模な研究によって少しずつエビデンスとして蓄積されてきています。

こうした鍼治療を評価するにあたっては、治療の内容を「定型化」してゆかねばなりません。
それは、わりとチェーン店の味に近い話、なのかもしれないなあ、と思うわけです。

チェーン店の味に、自分の味覚をあわせる、ということもあっても良いのだろうと思いますが、一方で、やっぱりその時に欲しい塩加減だったり、薬味を追加…なら、まだ対応できたりしますが、「これを抜いて欲しい」なんていうこともあったりします。食事ではなくて、治療、ということになれば、身体がうける刺激やその他の働きかけについて、もうちょっと繊細に、あるいは、厳密に個人の求めるところ、というのがあるのかも知れないと思います。

そうしたひとりひとりにあわせた、微妙な調整を、チェーン店に求めるのは、まあ難しいわけです。医療はそのように、ひとりひとりにあわせた、「オーダーメイド」とまではいきませんが、「セミオーダー」でありたいと思っているのですが、逆に、ある程度「定型化」しないと、その効果を評価する、ということも難しいわけです。

論文になっているエビデンスというのは、こうした「定型化」されたもの、を評価している、と考えられます。

そういえば、漢方薬もエキス製剤というのは、大量生産されたものが現在、使用されているわけでした。こちらも品質が一定しているというのが、評価を安定させる意味では大事なのです。

ひとりの医者が、小さなクリニックでできること、というのは、また違った趣があるものだなあ、と、こうした論文を目にするたびに、チェーン店の料理のことを考えてしまうのでした。