デジタルの話あれこれ
「DX」っていう表現をよく見るようになりました。医療でもDXが必要だ、なんていう風に言われるようになってきています。DXって、わたしの世代だと「デラックス」の略だったんですけれど、さすがにデラックス、じゃなくて、デジタルトランスフォーメーションの略なのだそうです。
「トランスフォーメーション」のどこにもXって入らない気がする…と思ったのですが、トランスフォーメーションを、X-formationって書くことがある、って書いてありました。まあそれでDX、ってことらしいです。
ディジタル、って言葉、わたしが医学生の時にどこかで聞いたなあ…と思って、うっすらとした記憶をもとに、グーグル先生に聞いて調べてみました。
ディジタル、じゃなかったのですが、「ジギタール」って呼ばれる検査の方法があったのでした。ジギタール、ってだいぶディジタルとか、デジタル、とかとは違う感じがします。あれ?関係なかったのかなぁ?って一瞬思ったのですが。とりあえずよく見てみることにします。ジギタール、日本語の「直腸診」を意味する表現でした。もともとの表現が、英語なのか、それとも、もう少し古くてドイツ語だったのか、はちょっとわかりませんが、英語で書くとdigital examination になる、ということで、やっぱりデジタルでした!なんなら、ちゃんとXが次の単語に入っているので、こちらの方が断然DXにふさわしい気がします。…って、それ、全然デジタル化と関係がないんですけれど。
ここで出てきた「ディジタル」だか「ジギタール」だかっていう単語は「指」を意味しているそうです。タル、ってつく部分は「〜の」ってことですから、ディジット、あたりが、「指」なのだと思います。
…英語の辞書にはディジットのところに「桁」って書いてありますが。
昔「算盤はデジタルです」と話をしたら、変な顔をされました。「あれはアナログじゃないの?」って。アナログだったり、アナクロだったりするのですが、それでもデジタルなんですよねえ、ってなぞなぞみたいな話になってしまいました。算盤の場合は「デジタルの語源」に近い方の話なのです。数学では「離散的」という言葉を使うそうです。
そんな語源の方のデジタル、っていうことで言うと、試験の採点って、デジタルですよねえ。「正解」と「誤答」がくっきりわかれている。どこにも「正解とも言えるし、間違っているとも言える」とか、「正解じゃないけれど間違ってもいない」みたいな中途半端な状況になることは無い、ってことになっています。そういう「中途半端な両方」とか「どちらでもない」を認めないでいると、物事がスッキリ決まる、という利点があります。
現代社会において、学校のテストでマルをもらうか、バツをもらうかが、子どもたちにとって、とても大きなことになっていて、子どもたちの経験や、アウトプットがデジタルに評価されている、と言うことができます。子どもたちがそういうデジタルな評価に適応していく、ってことがあっても不思議じゃありません。
そして、最終的には「テストの点数の足しになるか、ならないか」っていう部分で、学校の講義や課題などを、学生自身がデジタルに判定してしまっている、ようにも見受けられます。
最近の若者たちが「タイパ」「コスパ」と言っている、その先のパフォーマンス、っていうのが、やっぱり、デジタル的に評価されるもの、というところに留まっていて、そういう、評価になりづらい、経験とか、言語化できないもの、が、おざなりになってしまわないだろうか、ってことを、わたしは最近、少し心配しています。