一人反省会を卒業する

以前にも、何度か書いた話題です。
「一人反省会」は、一種の自傷行為に近い行動です、という話。
自分を責める、という行為は、小さいとはいえ、2回ずつのダメージを自分に与えることになります。
ひとを責める行為であっても、それは自分自身にダメージが来るのです。これがひとつ。
そして、責める対象が自分ですから、責められた、というダメージがもうひとつ。
過去と他人は変えられないものですから、過去を振り返って、「あの時ああしておけばよかった」と言い続けることは、いつまでだって出来ます。反省会の形をとった自責を繰り返し、自分自身にたくさん傷をつけておきたい、というのでしたら止めませんけれど、まあ、たいていの方は、あまり自覚なさらずに繰り返しておられるようにみえます。
(※過去の記憶は変えられませんが、感情との強い繋がりは解きほぐすことができる場合もあります。トラウマの原因になった記憶は変わらなくても、それを思い出すときに、強い感情が沸き起こる、ということを改善する余地はあるようです…TFT等の方法が知られています。)
一人反省会を続けておられる方にお尋ねしたいのです。
今、その後の結果を見て、知っているから後悔しておられるのでしょうが、じゃあ、人生が巻き戻ったとして、その先にどういう結果になるか、が分からない状況であったら、どうするとお考えですか?
先日、高市氏が総裁選挙に当選したところで、ビットコインが急騰したのだそうです。
「ビットコイン、買っておけば良かった」と、そういう言い方は、今なら出来ます。それを「後悔」と呼んでも良いのかもしれません。本気で後悔されている方はあまり無いでしょうけれど。で、「買っておけば良かった」とおっしゃる方が、同じ時間に遡ったとして、その先がどうなるか、を覚えていない状態に戻っていたら、投資したでしょうか?
手間とリスクを考えて、投資に手を出してなかったわけでしょうから、それと同じ条件であるなら、わざわざ投資するとは限らないわけです。
今、振り返って見たら、あちらの道の方が良かったかも知れない、という話は、それを事前に知っていれば選んだかもしれない道でしょうけれど、未来を事前に知ることは出来ないわけです。
今後の情報が無いまま、どちらを選びますか…?という選択だったら、たぶん、何回巻き戻っても、同じ選択をするのではないでしょうか。
であれば。後悔する必要はなさそうです。
つまり、その時それを選ぶことは、自分の中のベストだったわけです。
たとえば、運動会の徒競走で、一番が取れなかった過去があったとして。
「あの時もう少し頑張っておけば」って言わないでしょう。
必死に走って、それで取った順位が、一番じゃなかったわけです。それを「一番を取っておけばよかった」と後悔する、って言ったら、変な話だ、って思うわけです。
あるいは、当時手を抜いていたわけ?って聞く話です。
当時も今も、一生懸命に生きていて、一生懸命に選択しているわけです。それを今、きっちりやっているなら、振り返って見ても、後悔する必要は無いわけです。
できたら、そういう人生の送り方をしていただきたいなあ、と思います。
そして、可能なら。
選んだ道が正解だったと言えるように、自分でその先を頑張っていただきたい。
反省会をして自分を傷つけることにエネルギーを費やすのではなくて、未来の自分の人生を健全なものにするために、エネルギーを使っていただきたいと思います。