仕事ってなんだろう

昔、わたしが勤務医をしていた頃の話ですが、本当に生活が不規則でした。朝は早くに呼び出しがかかることもあるし、当直したら帰ってこない…なんていうのもザラでした。
小さい子どもを育てている家庭でしたから、家のことはまるごと妻にお願いしていたわけです。いわゆる専業主婦をしてもらっていました。
ある時、役所か何かで書類の作成に出向いた時のことです。
「奥様は何をしておられるのですか?」という質問に「主婦をしてもらっています」と返事をしたところ、窓口の担当者が、「ああ無職ですね」と言い直したのです。
うーん…無職って言い方はどうなの?って思いました。そりゃ所得が発生する仕事はしていませんでしたけれど、子育てや家事は立派な仕事ですよねえ?
仕事って一体なんなのだろう?って思うことがあります。
しごと 【仕事】
〔動詞「する」の連用形「し」に「こと(事)」の付いた語。「仕」は当て字〕① するべきこと。しなければならないこと。「台所の―」「―が片付く」「―に取りかかる」
② 生計を立てるために従事する勤め。職業。「お―は何ですか」「―を探している」
③ 〘物〙 物体が力の作用を受けながら移動するとき,移動方向の力の成分と移動距離の積で表される量。物体が仕事をされると,それだけ運動エネルギーが増加する。
④ 裁縫。針仕事。「お隅が一人奥で―をしてゐる」〈真景累ヶ淵•円朝〉
⑤ しわざ。所業。「あの連中の―だといふのだがね」〈義血俠血•鏡花〉
(スーパー大辞林)
高校で物理学の授業があったときには「マイナスの仕事」という概念がありました。
質量を持ったものを、高い位置に持ち上げると、その物体の「位置エネルギー」が高まります。こうやって、物体に働きかけて、低エネルギー状態のものを高エネルギー状態に変化させることを「仕事」って呼ぶのが物理の世界でのことになります。
基本的に、静止しているものを移動させたときに、同じ高さに移動させるなら、その「仕事量」は「ゼロ」っていうことになります。これはちょっと衝撃的でした。え、重たいモノ持って、運んだのに、仕事していない、ってどういうこと?ってなったものです。
さらにマイナスの仕事っていうのもある?って話になって、ずいぶんと混乱したように記憶しています。
高い位置にある物体は「位置エネルギー」を持っていますから、高エネルギー状態です。これをそのまま落下させると、地面に落ちるまで加速して、地面に大きな穴を作ったりするわけですが、これを把持しつつ、ゆっくり地面に降ろすと、物体の持つ「位置エネルギー」としてはゼロになるわけです。こういう作業を「マイナスの仕事」と呼びます。
学ぶっていうことは、同じような言葉の、別の意味を獲得することでもあるのだなあ…と思ったことでした。
話が脱線していましたが…ちょっと戻してみると、窓口の担当者が「無職」と呼んだことを怒るのもひとつのあり方ですが、彼らの判断基準は「所得があるか、ないか」という一点ですから、所得がなければ全てのひとが「無職」扱いになるわけです。
ああ、これはこの人がいうところの「無職」と、わたしが考えている「無職」の分類のしかたが違うんだなあ…と思いました。
そういえば、わたしは以前労災の認定を受けたのですが、「治療効果が上がらない状態になった」ものを「治癒」と呼ぶのだそうです。たとえば…って労基署の担当者が説明してくれました…大工さんが腕を一本喪うでしょ。労災ですよね?で、その治療が一段落すると、腕の一本無い方が残るわけですが、ここで「治癒」なんです、と。
たしかに、腕がはえてくるような治療はありませんから、「治療の効果が見られない」ものについては、治療を続ける積極的な理由がなくなります。治療の終了を「治癒」と呼ぶなら、きっとそうなのでしょう。
とはいえ、そういう状態を「治った」と呼ぶと、一般的には反発されるわけです。ぜんぜん元通りになっていないわけですから。
言葉の運用ってのは難しいものだなあ、と思います。
世の中には、所得に反映されない仕事っていうのが、けっこうあるのだと思っています。というか、経済的な活動に組み込まれていない仕事の方が多いかもしれません。
そのような、評価されづらい仕事のことを「シャドウワーク」と呼んだ方もありました。
評価はされづらいですけれど、そういう「縁の下の力持ち」的な仕事があるからこそ、世の中が円滑にまわっているという事も結構あります。どうか、そういう「仕事じゃない仕事」のことも考えて頂けたらなあ…と思うのでした。