冬来たりなば春遠からじ(2025年版)
今年(2025年)は12月22日が冬至なのだそうです。冬至点は未明に過ぎた、という話だそうですが。
(昨年は12月21日でした。去年も似たような話を書きました)
とうじ 【冬至】
二十四節気の一。太陽の黄経が270度に達した時をいい,現行の太陽暦で12月22日頃。北半球では太陽の南中高度が最も低く,昼間が最も短い。一一月中気。南至。 ↔夏至(げし)。季冬
旧暦だと11月の計算になるんですねえ。11月中気と呼ぶこともあったようです。
新暦だと12月。他の現地宗教?の冬至の祝祭を、イエズスの誕生日っていうことにして、自分たちもお祭り騒ぎしたい、というのが、クリスマス祝祭の起源だった、という話を聞いたこともあります。
プロテスタントはかなり潔癖な気質ですが、カトリックは、ずいぶんといろいろな周囲の宗教的行事を取り込んできた、という歴史があるようです。
そういえば、弘法大師が請来した、密教の曼荼羅には、インドの神様が描かれているのだ、と聞いたことがあります。有名なところですと、孔雀明王(マハーマーユーリー)とか、迦楼羅(ガルーダ)とかは、たしかにインドの神様として知られているようです。

(東京国立博物館所蔵)

ある程度柔軟に、周辺の文化を取り込み、自らの文化に換骨奪胎してゆく、というのは、まるで生物が、外の「異物」を取り込んで、自らの身体に「同化」してゆくはたらきのようです。
異文化をどんどん取り込んだ結果、自分自身が分からなくなったりしないのか?とちょっと心配になりますが、このあたりはきっと、程度問題なのでしょう。
昨年も書きましたが、冬至からは日中の時間が延びてゆきます。日射時間の短縮が、気候に影響を及ぼすまでには時間差がありますので、最も寒いのは新暦の2月頃とされていますが、兆しとしては、すでに春に向かう、ということになっているわけです。
この消息を示す卦が「地雷復」と呼ばれるもので、「一陽来復」などの表現でよく知られているように、易の卦としては、6本の爻のうち、上から5本が皆「陰」の爻になり、一番下の爻だけが「陽」の爻になっているわけです。
易の卦は、下から順番に積み上げていく形で描きますので、「全部が陰」である「坤為地」の卦の一番下が陽に変わった、という言い方もできます。ここから徐々に陽の勢いが延びてゆく、そんな兆しです。
易経の中では「山地剥」という卦の次に配置されています。
物は以て尽くるに終わるべからず。剥すること上に極まれば下に反る。故に之を受くるに復を以てす。
(物事は、尽きて終わってしまうことはできない。剥ぎ尽くされることが最上部まで窮まれば、必ず一番下において、一陽が生ずるのである。だから、剥の卦の次には復の卦が置かれてある。)
『易を読むために』黒岩重人 藤原書店2012年pp.148-9
この、復の卦をみるたびに、そして、冬至になるたびに思います。
ここから、あとは元気になってゆくばかり。と。
そんな「回復のはじまり」の象徴のような思いで、冬至の日を過ごしたいところです。


