卒業式の思い出

3月は、年度の終わりで、卒業式が行われたりしています。
わたしも、何度かの卒業式(自分自身の卒業式もありましたし、家族の卒業式もありました)に参加してきましたので、それなりに思い出があります。
とはいえ、卒業式そのものには、あまり意味を感じていませんでした。
式辞なんて、聞いていたら眠くなるばっかりだし、退屈だし。小学校の卒業式なんかは、どうせ、ほとんどみんな同じ中学に通うわけだし、そんなに泣くようなこともないよねえ…と、ずいぶん冷めきった心持ちだったように思います。
卒業式の「儀式」ではなくて、卒業という「制度」に意味があることに気づいたのは、きっと大学を卒業したあとだったように思います。ずいぶんと遅くなってしまいました。
卒業した、ということは、曲がりなりに、過程を修了したことの証明になるわけです。
学んでいない、という言い訳を、自分の中から追い出して、さまざまな課題にしっかりと向き合う覚悟ができたのは、この「卒業」が後押ししてくれた感じがあります。
一方で、わたしには、まだ終わっていない宿題が残っています。
卒業式を控えた、最後の授業でのこと。高校の物理の先生でした。
「じゃあ、これ。最後の宿題。」
と、にこにこしながら伝えられたのでした。
宿題って言われても…と戸惑いながら、つい耳を傾けてしまった、その課題は、
「雷は本当に避雷針に落ちるのか、どうか。ぜひ雷が落ちるところを観察する機会があれば、みてください」というものでした。
今でも、雷の気配と共に、先生の笑顔を思い出しては、避雷針を探します。
おかげで雷を怖がっている暇がなくなりましたが、いまだに宿題として提出するだけの観察が進んでいません。
これをご覧になった方々でも、避雷針に落ちるのかどうか、ご存知の方があれば、また教えてください。
さて。卒業をされるみなさん。
よい卒業を。そして、卒業という事実を、しっかりと背負って、これからの人生を歩んでゆかれますように。












