君子に三楽あり

孟子曰く、君子に三楽有り。而して天下に王たるは与り存せず。

父母俱に存し、兄弟故無きは、一の楽しみなり。

仰ぎて天に愧じず、俯して人に怍じざるは、二の楽しみなり。

天下の英才を得て之を教育するは、三の楽しみなり。

君子に三楽有り。而して天下に王たるは与り存せず。

364〜366話 | よみもの.com | 誠文堂新光社

  「超訳」本では軽すぎる、全文解説本では重すぎる、孟子の全体像を把握しながら通読したい人向け。現代人の心に突き刺さる「一文超訳」と、現代語訳・原文・書き下し文…

先日、わたしのこれからの人生について…「目標」とか「しあわせ」はどこにあるのか…?みたいなことを尋ねられました。

その時に思い至った言葉が「君子に三楽あり」でした。

うーんと、なんだったかなあ…と思いながらも、「有望な若手を育成すること」とは言えませんでした。

自分自身の思いをそこに差しはさむなら、「わたしの受け取ってきた智慧やわざを、どなたかに受け取ってもらえること」というような表現になるでしょうか。

弟子を取る?というような大それた話はあまり考えていません。

最初の師匠のことを、わたしは師と仰いでいますが、あの方は、弟子をとった、とはお考えじゃないかもしれません。
かなり自由奔放にさせていただきました。

二人目の師匠は…うーん…。「後継者」的な指名はまだしていないんですよねえ。弟子、というよりは生徒だったのかもしれません。
まあ、後継者指名はわたしの所には来ないと思います。

三人目の師匠は…「自分は弟子を育てそびれた」とおっしゃっていました。
しばらくはわたしも「生徒さん」と紹介された覚えがあります。
今は…?今もまあ、きっちり弟子の位置関係ではない、ですねえ。

それぞれの師匠から、それぞれに教わり、いろいろと組み合わせたり、他のところで学んだことを混ぜ込んだり…ということをしている間に、よくわからんものができあがった…というのが今のわたしの臨床スタイルです。

どの師匠も、きっちりと型にはまった弟子、ではなくて、わたしが自由に突っ走るのを微笑ましく(?)見守ってくださったように感じています。

…そういえば、漢方専門医を取得するときに指導医を引き受けてくださった先生も、「きみは、自分の思ったようにやったら良いよ」というような言葉をくださいました。教育して型にはめるのを諦められたともいうのかもしれません…。

そんな、放し飼い状態で育った、野良育ちのわたしが、弟子の育成、っていったところで、「野良で育ってこい」という以外にはやり方を知りません。

ですので、問われれば答える、くらいのものでしょうか。そのうち、何か良い方法が見つかるかもしれませんけれど…。

おかげさまで、クリニックの診療は少しずつ前向きに進んでいる状態ですので、知識や経験の伝達についてもぼちぼちで考えてゆきたいところです。