土地勘

昔、買い物に出かける、などというと、よく母親の後ろをついていったものでした。
一人で歩くようになってから、かつて歩いていた範囲を歩くと、思いがけないことに気づいたりしました。
「これ」と「それ」って、こんなに近かったの!とか。「あれ」と「ここ」って、意外と遠いんだ…とか。

そういう感覚を「土地勘」と呼ぶのかもしれません。

そういえば、わが子らも、中学生くらいまでは、通りの名前も、地名も、ぜんぜん覚えていないというか、「あのあたり」という表現がぜんぜん通じなかったのを覚えています。
「きみ、土地勘ないなあ…」なんてことを言ったわけですが…。

土地勘、って、これは、自分の足と、自分の責任で歩くことでしか、つかない、のかも知れません。
自分自身で行ってきて、あるいは迷ってみる。それを繰り返しながら、作っていくもの、なのではないか、と思います。

最近は、スマホのマップ機能が充実していますから、それを使えば、目的地に到達することはずいぶんと簡単になったのかもしれません。
そういえば、昔は、あちこちの地図を買っていました。訪問先の駅前には書店があって、地図が必ず取り扱っていた…というような記憶があります。

地図を見ているだけでもワクワクしたものでした。

脱線しますが、世界征服を試みるようになったのは、地図というものができたからだ、という説があるそうです。たしかに、自分の知覚できる範囲だけであれば、そんなもの、だったのかもしれませんが、そうした範囲を超えて、大きな世界の地図が出来ると、自分の陣地が小さく感じるようになったり、あっちのほうも「ほしい」という思いが出てくるのかも知れません。

とはいえ、地図を見ているだけでは土地勘は育ちません。やっぱり現地を歩く必要があるのだろうと思います。
このあたり、土地勘だけではないのでしょう。
先日書きましたが「お金の使い方」についても、似たような話なのかもしれません。

財布をわける

昨年から、障害支援のための文具を販売している、という会社「おめめどう」の代表ハルヤンネさんの文章を読むようになりました。先日も、ブログでも「選ぶ」ということに…

もちろん、ある程度「センス」というような先天的な才覚の差はあるのだろうと思います。なので、土地勘を養いやすい、とか、なかなかそれが身につかない、というような差はでてくるかもしれません。

ですが、加えて、ちゃんと訓練して、自分の能力をしっかり発揮できるようにすること。

つまり、自分の責任において、自分の自由意志において、試行錯誤すること、っていうのが、こうした「勘」を養う上では、とても大事なことであるように思います。