変わり続けるものだけが
「最も強いものだけが生き延びる、というわけでもなければ、最も賢いものだけが生き延びる、というわけでもない。変化に対応できたものが生き延びるのだ」という言葉がわりと流布しています。進化論を提唱して有名になったダーウィンの言葉だとされています。
じゃあ、どこでそれを語ったか(あるいは書いたのか)とか、具体的にどういう単語を使っていたか?みたいな話を追いかけようとすると、はっきりしたことがわからないのだそうで、本当にそんなことを言ったり書いたりしたのか?というあたりは微妙らしいのですが。
進化論を語る方の言葉としては、なるほど、そういう言い方するかもしれない、と、わりと納得がいくような表現なのでしょう。
進化論とは、変化してきた生き物の物語なわけですから。
昔、東山紘久先生の講義で、示唆的な話を聞きました。
「進化するのは、進化前の種の中で、どんな存在だったと思う?」というような話だったと思います。
キリンが長い首を獲得した、というのは、生存競争の中で、だったのかもしれません。
そして、長い首を持つ、ということが「優れていた」から生き残った、とも言えるでしょう。
生命の50億年の歴史の中で、単細胞生物から多細胞生物に。単純な構造から、だんだん複雑な構造に…という形で進化、というのは積み重ねられて来ました。
「個体発生は、系統発生を繰り返す」という表現があります。
たまごから、細胞分裂を繰り返して、赤ちゃんの形になるまでの間ですが、脊椎動物の発生は当初、どの生物も大変よく似た構造をとるのだ、という示唆がされています。

画像はhttps://www.nagaitoshiya.com/ja/2004/embryological-parallelism/# からお借りしました。
魚と、イモリ、カメ、ニワトリ、その他哺乳動物とヒトが、それぞれ、発生の時にどのような形をとっているか、を比較した図です。初期の頃はなかなか区別がつけづらい、というのが本当に興味深い。
なるほど。で、「変わり続けたものだけが生き延びる…」と?
うん?
単細胞生物で生命が始まったとして、まだ世界には単細胞の生物もたくさんありますよねえ。
脊椎動物としての進化も、魚類から両生類、爬虫類…とかって並べますが、じゃあ、みんながみんな、魚類をやめて、地上にあがってきたか?というと、そんなこともないわけで、お魚はまだまだ海にも、川にもいるわけです。
東山先生は、当時「じつは、あかんたれが進化してきたんじゃないか、って話があるんですよ」と、そんな言い方をされていたように記憶しています。
つまり、単細胞のままで生きていけるのであれば、多細胞の生物になる必要はない。
同じ種の中で、「そのままで」生きていくことが出来るような、強かったり、賢かったりする存在は、「そのまま」生き続ける…もちろん、環境の変化などでそのまま絶滅してしまうことだってあるのかもしれませんが。
そのままでは生きていけないような、いわば「弱い」存在こそが、「変化」を自らに課して、進化の道を進んだ…というのが、ひょっとすると実状なのかもしれない、なんてことを、おっしゃっていました。
進化せざるを得なかった、のかもしれません。
問答無用で強ければ、変化せずとも良いのでしょう。とはいえ、実際に生きていると、年齢を重ねるごとに、全盛期の強さを維持できなくなってきたりします。
「勝っているあいだは考えるな」と、これは精神科医の師匠が、またその師匠筋の先生から伝えられた極意のひとつだそうですが、まあ、勝っている間にそんなことを考える必要はないわけです。
思索が深まるのは、つまり、負け続けた(!)ひとたちだ、という言い方もできるのかもしれません。負けた、ということが決して無駄ではなかった…(これも負け惜しみでしょうかしら?)。
いろいろな工夫が必要になるからこそ、そのひとつの手立てとして、「進化」というのがあったのかもしれません。









