宇宙飛行士の来日講演会の思い出

ふと、なぜかそんなことを思い出しました。ずいぶんと昔(30年近く前?)のことですが、いろいろと、(当時も、思い返した今も)考えることがあったので、書いてみます。

けいはんなの学研都市の一角で、米国宇宙飛行士の来日講演会というのがあったのでした。友人と待ち合わせ、という形で講演会に参加しましたが、待ち合わせの方法は、携帯メールでやりとりしていたのか、どうか、くらいの時代でした。パソコンのメールアドレスは持っていたように思いますから、それでやりとりしていたのかもしれません。

それ以前は郵便でしたからねえ…。といっても、最近の郵便事情に比べると、もう少し早くに着いていたような気もします。あるいは、それだけ「ゆったり」した時代だったのかもしれません。平成のヒトケタの頃の話です。

無重力の宇宙船の中は、わりとコンパクトな場所だけれども、重力が無いので、広く使える、というような話をされていたのと、それから、何度かのミッションの中で、宇宙ステーションに行った時の話を「何度も宇宙船には乗ったけれど、はじめて『どこかに行った』ミッションだった」というような話をされていたのが印象深く、記憶に残っています。

同時通訳だったでしょうか。英語のお勉強!と思って、英語のままで聞いていた記憶があります。

当時、立花隆氏の『宇宙からの帰還』という本を読んだあとでもあり、その中にあった、「宇宙に出ることになって、神を感じた」というような記述にひっぱられていました。宇宙から地球を見て、信仰の変化があったのかどうか、というあたりに興味を持っていたわたしは、講演のあとの質疑応答で、お尋ねしたのでした。

宇宙からの帰還 新版 立花隆 著 中公文庫 2020/8/21

どなたがいらっしゃっていたのか、は覚えていませんが、「もともと信仰は持っていたし、あまり変わっていない」けれど「宇宙船から地球を見ていると、大事にしなければ、と思う」というようなお返事を頂いたと記憶しています。

立花隆氏も鬼籍に入られて、最近では「たちばなたかし」氏と言うと、まるで別の政治家が有名になっていらっしゃいました。

どこの団体が、どういう事情で開催されたものだったのか、あまり記憶に残るような形で宣伝しておられたわけでもなかったのかもしれません。今ではさっぱり思い出せないのですが、本当に当時は、そのような講演会に同時通訳をつけて…ということをやり、かつ、それを無料で公開する、ということがあったのでした。バブルの残り香、とでも言いましょうか。
今ならウェビナー形式での配信になるのでしょうか。すでに世界的にウェビナーも、YouTubeライブもありますので、そういう来日講演会、みたいなものも形が変わってきたのでしょう。
加えて、わたしも自分の専門が出来てきましたので、こうした専門外の話題に目を向けたり、時間を割いたりすることも減りました。

いろいろな質問が出ていたことを思い出します。

ずいぶんと幼い(?)子供たちも来ていましたので、本当にたわいない質問もあり、こんな質問に時間を割くなんて…と思ったこともありました。分からないこと、もうちょっと持ち帰って、自分で調べたら…?と思ったのでした。

最近、SNSを見ていた時、知らないことを調べる、ということが、個人によってすごく違う、という話が流れてきました。

下手をすると、AIに質問しているのと、検索をかけているのと(最近は某グーグル先生もAI登載になっていますから、すでにこれはあまり差がなくなっているのかもしれませんが…)あるいは、SNSのやりとりで、相手に聞いているのと、リアルのひとに聞くのと、すら、違いを認識しない、という方もあるようです。

まあ、昔から「生き字引」とか「歩く辞書(ウォーキング・ディクショナリー)」とか、そういう呼び方をされるようなひともおられましたから、調べ物をひとに聞く、というのはとても省力される方法ではあるのですが。

調べ物、と言えば百科事典だった、という時代もありました。新しいことはあまり載っていませんが、しかし、各項目を専門家が執筆していたので、ずいぶんとコンパクトに、大事なポイントが記述されていたのだろうと思います。

わたしが調べ魔になったのの一端は、おそらく、母の指導にあったのだろうと思います。

何かを尋ねると「それは辞書で調べてごらん…どう書いてあったか、わたしにも教えてね」という言葉が、ずいぶんと繰り返されたような記憶があります。そして、調べたことを得々と母に報告する、という。

誰かに聞くと、それなりの返答が得られるのでしょうけれど、自分で調べると、本当に自分の身につきます。ひとに伝えるとなると、さらにきっちり覚えることに繋がったのではないか、と思います。

今では、情報機器が便利になりすぎてしまった、ようにも思います。なかなか紙の辞書も、百科事典も古くなってしまいました。百科事典になると、場所もとりますし…。

時代の流れでしょうけれど、あれはあれで、良かったのだなあ…と年寄りめいた感傷にひたるのでした。