家族のこと

家族も他人、というお話を、以前ブログでも書きましたが、クリニックにいらっしゃる方の体調不良にかんしてお話を伺っていると、ご家族との関係にも、その体調悪化の要因がありそうだ…、ということがしばしばあります。
そういえば、昔、漢方の先生が、そんな話をされていたのを読んだことがあります。
ある時、患者さんが、動悸をおっしゃって来院された、という話でした。
本当にいろいろと試行錯誤をされて、漢方薬をいくつも試されたのだけれど、どれもなかなか効果がでない…と、ずいぶんと悩んでいたところ、ふと「動悸がでなくなりました」とその方がおっしゃることがありました。
なんとも、スッキリしない幕切れではあるのだけれど、まあ、症状が改善したことだし…と、ひとまず診療を終えるという形になったようです。
その後、しばらく経ってから、「あの、動悸が出ていた期間、じつは親と同居していたのです」というタネ明かしを貰ったのだとか。
同居が解消したところで、動悸も出なくなった…ということで、漢方薬とはあまり関係ない話になってしまった…というような話でした。
親、子ども、あるいは配偶者…。
家族といっても、いろいろな関係があります。
「他人だと思え」という話を持ち込むことで、物事がスムーズに進む場合もあるようですけれど、それだけでは解決しない場合もあります。
そういえば、昔、子どもと一緒に生活していたときに、どうしてもうまく行かない…というやりとりをした記憶があります。
当時、子どもはお弁当を持って行っていました。
すこし汁気があるものもありましたので、鞄のなかでこぼれないように、密閉できるようなお弁当箱を使っていたのでした。
ところが。
この子どもが、お弁当を(学校で)食べたあと、使用済みのお弁当箱を密閉したまま、数日放置するのです。
「ちゃんと弁当箱をあけて、洗いなさいよ」と何度か言ったのですが、そのまま。
別に本人、忘れているわけではなさそうでした。
では、どうしてその弁当箱を片付けないのか…?と訊いたら、「あけるとすごい臭いがするから」と。
うん。数日しめっぱなしだもんねえ。食べたそのままで。すごい臭いになってるよねえ…。
で?
自分が嫌だったら、放置するわけ?放置しておいたら、臭い、あけるときには、もっとひどいことになっているかもしれないけれど?
「あけなければ、臭くないから」
うん。そうだねえ。じゃあ、明日のお弁当は?
「別の弁当箱を使うから大丈夫」
大丈夫じゃねえんだよ!ちゃんと、自分のつかった道具は片付けろよ!
「嫌だ。だって臭いもん」
…ということで、堂々巡りの会話になったのでした。
本人に片付けさせる、ということはとうてい無理、と諦めて、みつけるたびに親が開封して洗う、という形になってしまいました。
今でも、どのような対応がよかったのか、時々思い出しては、考えますが、いまだに「こうすれば良かった」という「正解」にはたどり着けません。
まあ、毎回ではなかったですので、「出し忘れていた」分だったのかもしれません。当日なら、そこまで臭わないのでしょうし…。
子どもは、家を出て、一人暮らしをしていますが、自分一人での生活の中では、ちゃんと片付けしているのでしょうかしら?
子どもが一人前になって、自立してゆく、という道筋の中で、いくつもの「責任を取る」という場面があります。
この「責任を取る」ということを、しっかり引き受けるところ、上手に増やしていきたいところですが、うちの子どもが弁当箱の放置をしたような、そういう形で「責任を回避する」行動があったりします。
こういうことされると、本当に一緒に生活するのが、難しくなるんですよねえ…。
その人のための場所、たとえば、個室の中などであれば、その場所に対して口出しする方が領域の侵犯をしている形になるわけですから、「そこに口出ししなさんな」で終わる話になります。なかなか、それでも口出しされる方とは、一緒に生活できない、ということになりそうです。境界線がハッキリしていますので、じゃあ、どうするか、っていうのはすごく明確に方針を立てることができます。
ですが、行動範囲が重なる場所。
共有する場所のことになると難しいです。
「みんなで食べる」ためにと買ってきておいたお菓子を、家族の一人が、全部食べてしまう…なんていうようなことも、共有空間をどう過ごすか、という話題に似たような話です。
共同で生活する、ということには、他者の存在を認容して、その人のために配慮する、という手間暇が含まれるのだろうと思います。
そうした手間暇をかけないまま、自分は他者が用意してくれたものを消費するだけ、というような方がその中に含まれると、「提供する人」と「享受する人」というアンバランスが生じかねません。このような、一方的な関係の中では「共同生活」を成立させることは大変難しくなりそうです。
ちゃんとしたルールを決めましょう…、と言いたいところですが、「ルール違反」をするタイプの人からすれば、そもそも、ちゃんとしたルール、というものが、他人からいきなり押しつけられたもの、ということになりがちですし、自分で守る理由もありません。
かつて、共同生活をしなければ生きていけない、という社会であった時分は、こうした、個別の責任を引き受けないような人は、ひょっとすると村八分にされて、生活に困窮していたのかもしれません。
ですが、現代社会は、ずいぶんと便利なものが揃いました。お金さえあれば、個人ひとりで生きていくこともわりと容易になりました。
とはいえ、それぞれで世帯を分割すると、いろいろと余計な出費が増える、ということにもなります。
なかなか、すぐに世帯をわけて…となりづらいですし、家族であるなら一緒に生活するのが当たり前、というような意識も残っています。
共同生活がまだ残っている部分について、良い関係が崩れてしまうと、フラストレーションを募らせるようなことになりかねません。
なかなか、上手な解決方法が見つからないこともしばしばで、わたしも全部を解決できるとはとても言えません。
とはいえ、愛想も有限の資源ですので、あまり愛想が尽きて、憎しみになる前に、上手に距離を取っていただいて、うっすらとでも、それなりに愛想が残るくらいの関係を維持していただきたいと思います。













