怒りの感情のこと

先日、師匠からの秘伝だ、ということで「怒りを払う」という話を書いたところです。

心理学の師匠から教えてもらった秘伝

本当にありがたいことに、わたしには、お師匠さまが、何人もいます。「節操もない」と言われると、反論のしようがないのですが。 精神科医で、心理学のことを深く教えてく…

「怒り」だけではなくて、感情全般について、師匠は「感情というのは、結果ではないのだ」という説を教えてくださいました。

一般的には、「なにか、腹を立てるような出来事が発生した、その結果として怒りが出てくる」と、そのように考えるわけです。

しかし、アドラー心理学では、感情をそのようなもの…つまり何らかの出来事に対する反応の結果である…とは考えていません。むしろ、感情というのは、「道具」であると考えています。つまり「怒りの感情」を「使う」ことで、今から先に何らかの目的が達成される、という形で考えるのです。

不機嫌であること、も、他人を下に見ること、も、怒りですから、これらの怒りの感情を使うことで、世界を自分が思ったようにしよう、いわば「操作しよう」、としているのが感情の発露だ、というような認識と考え方をしている心理学なのです。

これは結構ショッキングな考え方かもしれません。

そんなに、感情が「使われる」ことで、世界が変わる、ということがあるのだろうか?と疑問に思われるかもしれません。実際のところ、たとえば日本の消費税が高い、ということに憤慨してみたところで、税率が下がる、ということにはなかなかつながらないわけですから、ここで「使われた」怒りがあったとしても、これはあるいみ「感情の無駄遣い」になってしまっている、わけです。

が、人間関係において、自分が不機嫌でいることで、相手が気を遣う、という場面はあったりします。そのような形で、感情を使うことで、他者を動かす、ということがあり得るわけです。そして、何らかの形でそれに「成功」した場合、こうした行動は強化されるわけです。強化が続けば、いずれ、世界そのものを、感情で変えてしまえる…というような認識にたどり着いておられても、まあ仕方ないのかもしれません。

感情で世界を変える、なんて、そんな非合理なことを…っておっしゃる方もあるでしょうけれど、そんな非合理なことを、どこかで極めて合理的だと感じたりしつつ、私達は「非合理」な選択をしていたりするわけです。

もちろん、怒りの感情を使っておられる方が近くに居るときには、なるべく距離をとってください、という話になっています。お釈迦様くらいまで修行が進むと、必ずしも遠ざかる必要はないのですが、怒りを払う、の入門くらいの場所に居る場合、近くに怒りを使っておられる方があると、その怒りの感情に影響されやすいので。

昨日触れた、自分自身の「あたま」と「からだ」の話で言うなら、くたびれて、動かなくなった「からだ」に対して「あたま」は怒るわけです。で、その感情をもって、「からだ」を動かそうとする。

ところで、怒りのエネルギーって結構大きいので、わりとその時は頑張れることもあるのですが、この大きなエネルギーは、周辺へのダメージも大きくなるわけです。

自分自身に使うと、けっこうな負担になります。

物事がすんなりと進まない時に、イライラすることがありますが、これが続くだけでくたびれたりすることもあります。イライラも不機嫌も、全部ひっくるめて怒り、ですが、これらを上手に払って、体調に影響があまり出ないように過ごしていただきたいものです。