怒りの絡まりをほどいてゆく

わたしの師匠は、「怒りをはらいなさい」という教えを、奥義として教えてくださいました。
怒りをはらう、というのも、なかなか難しいことなのですが「怒りを我慢しなさい」ではないのだ、と繰り返し言っておられました。

怒りを我慢すると、その分の怒りは、どこかに残ったままになります。どこかに残った怒りは、きっといろいろなものを絡め取って、ややこしい形に育っていきます。

昔心理学の用語としての「コンプレックス」という言葉について、河合隼雄氏が紹介と解説の文章を書いていました。現代においては「コンプレックス」という言葉もしばしば使われるようになりましたから、その意味合いを丁寧に説明しなくても了解されているのだろうと思います。が、もともとはそうではなかった時があったのでしょう。そもそも「コンプレックス」という言葉は「複合体」という意味しか持ちません。「シネマコンプレックス」っていうのは「複数の映画館が集まった場所」のことを言います。シネマが複合した場所だからシネマコンプレックスです。こういう「複合体」という意味に、心理的ないろいろなものが絡まり合った、というような意味を載せて、なんとも言いがたい感情だとか認知の偏りだとかの組み合わせを、たとえば「劣等感コンプレックス」というような言い方で呼んだ、その前半が省略されて今の「コンプレックス」という表現になっているわけです。

怒りを我慢して、そこにいろいろなものが絡まってくると、「怒りコンプレックス」と呼ばれるような何物かができるのでしょう。そして、この「怒りコンプレックス」とでもいうものが、本当にややこしい形でひとを突き動かしたりするのだろうと思います。

師匠の教えでは、わかりやすく炎上するような「典型的な怒り」以外に、「暗い気分が続いている」というのも、あるいは「他人を見下すような心持ち」というものも、いずれも「怒り」の一形態だ、ということでしたので、怒りもいろいろな形になります。それぞれにコンプレックスを作ると、本当に多彩な形になりそうです。

そして、この怒り、という感情を、わたしたちは「使っている」のだ、というのも師匠の教えでした。こうした感情を使って、わたしたちは、世界を自分の思ったように変化させていこうとしているのです。

こういう、怒りの話を聞いていた頃、知識としてだけではなく、実践も大事だ、ということで、わたしも自分で自分の怒りをはらう、という修行を心がけていました。

そんなある時、地下鉄に乗っていた時のことです。向かい側の6人掛けのシートに、4人くらいしか座っていなくて、その近くで一人、立っている方がありました。
それを見た途端、俄然腹が立ってきたのです。「ちゃんと席を譲ってあげないなんて!社会道義がなってない!」という怒りでした。

ところで。師匠には「課題の分離」という話も聞いていました。

怒りが出てきた時には、ちゃんとはらわねばなりませんが、今ここに燃え上がってきた怒りは、そのまま認めても良いものなんだろうか…?って考えた時に、そこで立っておられる方も、別に腹を立てておられるわけじゃないのです。いい大人ですから、もしも自分が座りたいなら、「そこちょっと詰めて、座れるようにしてもらえませんかねえ」って自分で交渉したら良いわけです。

つまり、わたしが一人、勝手に怒っていたわけです。社会正義とか社会道義って言いますけれど、目の前の方、誰ひとりそれに怒っていないわけですし。
わざわざ、ひとさまの課題に首を突っ込んで、わたしが怒る話ではないのです。

そしたら、どうしてわたしは急にそれに腹が立ったのか…?っていうことを、もう少し自分の心で探してみました。

そうしたら…。理由が見つかったんです。見つかったんですけれど…。それが本当に自分でも呆れるくらい、小さな話だったのでした。
実は、わたしは反対側のシートに座っていたわけなんですけれど、隣の方がずいぶんと大柄な方で、わたし、ちょっと窮屈だったんです。

つまり、「社会道義!」って言いたくなるきっかけは「わたし窮屈なのに、向かい側のひとたち、ゆったり座っててうらやましい」っていうような、そういう感情だったのです。

怒りの芯になっていた感情が、こういう「幼稚」なものであったことに気づいて、わたしはずいぶんと「ヘナヘナ」ってなりました。でも、実は案外、根っこの部分とか、芯の部分って、そういうものなのかもしれない、と思います。別の機会に、似たような「怒りの分析」をしたときには、「ヨシヨシして欲しかったのに、してもらえなかった!」っていう思いが芯にあって、これもちょっと怒りの感情が腰砕けになるというか、ツッパリがきかなくなる感じで、怒りが立ち消えするようになりました。

こういう芯の部分を丁寧に見てゆくことで、怒りを「はらう」っていう作業がしやすくなるのだと思います。社会正義!が前面に出ているときは、その怒りをそのまま消すのは難しくても、「お腹が空いた」とか「疲れた」くらいだと、自分の気持ちを自分でなだめることがしやすくなります。「いい大人なんだから」って。

こういう形で、怒りのコンプレックスをほどいていくことが、多分、怒りをはらう時の作業に必要なことなんだろうな、と思います。こうやってほどけていくと、いろいろなコンプレックスをほどきやすくなるのかもしれない、と思います。