悪魔は、孤独な人に憑く

「癒し」という用語がブームになった、1990年代。「癒し」という言葉を使い始めた、だったか、人口に膾炙するようになった立役者だったか、『スリランカの悪魔祓い』の著者である、上田紀行氏、は、その「癒し」の話題の中心というか、先駆者的な立場にいらっしゃいました。

この本を読んだのは、私が学生の時だった、と思います。とても興味深く、ぐいぐいと引き込まれつつ読んだ記憶があります。私の記憶では、「孤独な人を、悪魔はまなざす」というような、割と詩的な表現があったので、「孤独な人に、悪魔は取り憑く」っていう直接的な表現は、なんだか記憶と、微妙に違うような…?とはいえ、まあ意味する点は一緒ですので、わざわざ言い立てる違いではなさそうです。

(スリランカで行われていた)悪魔祓いというのは、(上田紀行氏によると)超自然的な何者かが人に取り憑いているのを引き離す、という行為であるよりは、「悪魔憑きになった」とされる個人を、大きな儀式を介して、再び、社会の中に居場所を定めるための手続きであり、こうして、人の輪の中に居場所を定めなおすこと自体がある種の「癒し」になるのだ、ということのようでした。

話は少し変わりますが、1970年代に、ネズミの実験、「ラットパーク」というものがあったそうです。(リンク…PDFファイルです)これは、その研究についての紹介文ですが、関係性がある中に生きているネズミは、孤独なネズミに比べて、薬物の依存から容易に抜け出すことができた、というような報告があります。

アルコールや薬物の依存性よりも『孤独』が問題

と書いてあります。

集団で生きていく哺乳類にとっては、孤独の方が「よりつらいこと」なのかもしれません。

一方で、人との煩わしい付き合いから離れることを推奨する本もあったりします。

『「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』

なんて、タイトルからしても、孤独を推奨している、ように見受けられます。

よく分からなくなってきたのだけれど、つまり孤独が良いってこと?それとも、悪いってこと?

…という単純な二分法で白黒つける、という話ではなさそうです。

現代社会における人間関係には、なかなか困難なものもつきまといます。
その辺を整理して、本当に必要で、大事な人間関係はどれなのか、ということを考え直す、というのが「ひとりぼっち」をいったんお薦めすることの趣旨なのかもしれません。

コミュニティ、というのは、経済が発展すると、だんだん、綻びてくるのだ、というような話を以前、文化人類学をご専門にされていた先生から伺いました。
経済が発展するまでの社会では、コミュニティの中に居場所がないと、本当に生存が危ぶまれるのだそうです。なので、コミュニティの中で評価が高い、ということが生き残るためにも必須の条件でした。

そして、ある程度の富を得たひとが、その富を分配しないと、コミュニティでは「感じの悪いひと」と評価されてしまうのだそうです。帰省した途端に、予算が底知らずになったかのような大盤振る舞いをする、という行動は、コミュニティの中に居場所を保つために、必要に迫られたものだったのだそうです。

そんな社会でも、だんだん経済が発展すると、ひとりでできること、が増えて来ます。

ひとりでできる、あるいは、他者の力を借りることは、経済的な関係性の中で成立させる、というのが、経済が発展して、文明が進んだ世の中、ということになっています。

たとえば、近所のおばあさんに子どもの面倒を見てもらう、のではなくて、ベビーシッターや保育園にお金を払って子どもを預ける、というような。

経済が発展し続けている間は、それが順調に進む…ように見えます。

経済が社会の中に入ってくると、貯えを持つひとが出てきます。自分が頑張って貯えてきた、と考えるようになると、だんだん、分配を惜しむようになって来るのは自然な流れなのかも知れません。

自分の貯えを守るために、家を柵や塀で囲い、ひとが集まることを厭うようになるそうです。

個人主義が、経済の成立によって、実現できるようになってきた、ということは、個々のひとが「自由」になった、と言えるのかも知れません。

しかし、これは、経済あって、のことです。経済が躓いたり、あるいは、ご本人が経済の速度についていけなくなったり、そういう形で、経済の枠組みから離れてしまった時には、どうなるでしょうか。

経済を介さない、コミュニティが残っていて、そこに所属しているなら、それでも孤独にならずに済みそうです。

あるいは、悪魔が眼差し、孤独に陥ったから、といって、そこを「強く」生きていくなら、大丈夫なのかもしれません。

しかし、そういうことに耐えられる方ばかりとも限りません。

そういう「雨の日」に支え合う場所と、支え合える仲間、というものを、どこかに残しておいてほしいものだ、と思うわけです。

支える・支えられる、という関係にも、さまざまな思いが絡まりますから、なかなかいろいろと難しいことがあることはあるのですが…。