改革は辺境から起こる

世界史の授業を聞いていたときに、宗教改革の話がありました。ドイツに、マルティン・ルターという人が出てきて、「聖書の言葉を厳格に守っていない」としてローマカトリックを批判・糾弾し、新教…としてプロテスタントというものを立ち上げた、というような話でした。

岩波新書から、マルティン・ルターについての本が出版されていました。

https://www.iwanami.co.jp/book/b226159.html

『マルティン・ルター——ことばに生きた改革者』この「ことばに生きた」という副題が、彼の思想や行動を端的に示しているのではないかと思います。

つまり、当時、神聖ローマ帝国を名乗っていたとはいえ、ドイツはやはり、宗教の中心的な場所であったローマからは遠く、伝わって来ていたものは「聖書」という「文字」であったのだということではないか、と考えています。

書かれた言葉は、変わりません

もちろん、読む人の心持ちや、状況によって、解釈が異なる言葉、というものもあります。が「書かれた言葉そのものは変わらない」というのが普通でしょう。

一方で、ひとは、変わります

当時のローマ教皇や周辺のいわゆる聖職者たちは、ルターが批判するように、ずいぶんと腐敗した生活をされていた、というのも事実であったのでしょう。

しかし、長年の宗教的な蓄積というものは、たしかに中枢にはあって、人々が(聖書の言葉よりも)聖職者の言動をこころの支えにしていた、ということもあったのかも知れない、と思います。

この辺の「勘所」というのが、文字だけでは、どうしても伝わりません。

だから、直接会って話をする、ということが大事だったわけです。

「ことばのただしさ」とか「ただしいことば」というものに、ともするとわたしは、魅力を感じることがあります。
ですが、ことば、というものに、寄り掛かろうとしたとき。歴史的には、それが大きな衝突と悲劇を生み出したわけです。

マルティン・ルターは、ローマ教皇によって破門されていて、この破門は撤回されていないのでいまだに有効なのだ、という記述もありました。

https://www.library.pref.nara.jp/sites/default/files/luther.pdf

ローマ・カトリックという「宗教的な寄り集まり」の中を大いにかき乱した、という見方をするならば、マルティン・ルターの行為は、「問題があった」と理解するのも1つの視点なのかもしれない、と思います。

もちろん、「座視しきれないほどの悪徳がはびこっているような場所であれば、それを黙って見ているほうが罪が重い」という考え方もあります。

わたしも当時を見ていませんし、たとえ見ていた人があったとしても、第三者的な公平性をもって、その賛否を定めることは難しいのでしょう。
それぞれに主張するべきものがあり、それぞれに守るべきものがあったわけでしょうから。

宗教だけに限りませんが、物事の中枢には、現状を維持してゆく働きが集まり、辺縁では、変化を引き起こす動きが発生する、というのが、自然な構造なのだろうと思います。