数字になること、ならないこと

半年ちょっと前に、東京で東洋医学会の学術集会が開催されました。
そこで、脈診のロボットに出会った、という話をちょっと書いたことがあります。

おのぼりさん

この週末に、東京で東洋医学会の学術集会が開催されました。コロナ禍ではオンラインでの参加も出来たように記憶しているのですが、経費が嵩むことにもなりますし、現地で…

漢方診療をAIが手伝ってくれる、という話はずいぶんと進みました。

言語生成系AIである、チャットGPTなどに、症状などを列記すると、「この漢方薬をお薦めします」というような返事を返してきてくれるようになっている、という話も聞きました。
わたしも少し試しましたが、たしかに、どこから引っ張ってきた知識なの?!って思うようなマニアックな議論も成立したりすることがあり、興味深い経験でした。

じゃあ、漢方の診療はそのうち、AI診断で良くなるんですか?…ってところが、ひとつ気になるところかもしれません。

自分自身の症状を列記して、それらを補完するような質問をAIがしてくれると、おおよそ、「じゃあ、こういう処方でどうでしょう?」という提案が出てくる、というのは、とても便利な気がします。なんなら、薬局の入口に、そんな相談ディスプレイがあったら、医者はあまり必要なくなる…?なんていうこともあるのかもしれません。

実際のところ、どうなのか?というと。
まだまだ、ヒトが介在しないと、決まらないところが結構あります。

様々な不調の症状を並べられる方の、どの症状を重点的に拾い上げることにするのか、というのは、勘所が必要な気がしています。
さらに言うなら、ご本人が自覚していないとか、あるいは慢性化した結果、背景になってしまったような症状、というのは、ご本人はわざわざ言葉にされない…というより、忘れておられたりします。こうした症状を見つけて、現在の不調とからめて、全体の病状を把握する、という行為は、まだ人間の方が得意であるように思います。

そのうちAIが、こうした工夫も出来るようになると、それはそれですごい話なのですが。
つまり、数字にできることについては、AIの強みが生きるところになりやすい。
数字にはしづらいところは、人間の方がひょっとすると、得意なのかもしれない。そんな棲み分けはまだ残りそうです。