文明と便利がもたらしたこと
少し前の話ですが、とあるメールマガジンで、よしもとばななさんが、執筆されているのを見かけました。そして、ばななさんが「勝手に改行しないでほしい」っていう話の行き来があったことを、そのまま書いておられたのを読んだのでした。
文章には自分のリズムが刻み込んであるから、勝手なところで改行されると、そのリズムが崩れる。だから、それをしないで欲しい、というのがばななさんの主張で、メールマガジンの主宰者の言い分は、「見る人によって、画面の幅も、文字の大きさも違うから、同じところで改行、っていうのは技術的に難しい」ってことだったように思います。
電子書籍なんかは、なので、頁数を示すことができないのだそうです。文字を拡大・縮小できるので、って話を聞いて、へええ。と驚きました。
わたしはもっぱら紙の本が好き、という人生を辿ってきました。ディスプレイで文字の位置が変わる、なんていうことは大人になってからの経験ですから、そちらが特殊、なのですが、今の子どもたちは、時々、紙の本を見ていて、ピンチアウト(指で画像を拡大する操作)をしたりするらしいです。
そういえば、ネット動画がメインで育った子どもは、テレビ放送の「今を逃したら、放送が見られなくなる」というのもピンとこないのだそうです。
動画の話で言うなら、インターネットの中にある動画を全部見ようと思うと、人生が10回分くらい必要になるのだとか、その人生を送っている間にさらに蓄積されるのだとか、考えると壮大な話になってきています。
最近は、AIがずいぶんと賢くなってきたそうで、精巧な画像を創造することができるとか、あるいは、割としっかりしたレポートを書くことができるとか、って聞いています。たしかにグーグルの検索をしても、最近はトップに「AIによるまとめ」が出てくるようになりました。
便利な時代になった、のかもしれない、と思いますが、一方で、ひとの身体はあまり変わっていないところがあります。
他の何もかもが便利になってしまったために、わたしたちは、我慢をすることが減ったとおっしゃる方もあります。人間関係は、どうしても長い付き合いをしようと思うと、我慢が必要になることだってありますから、便利な世の中には「なかなかそぐわない」ものになってしまう、ことだってあるのかもしれません。
良いことを追求しすぎた結果、逆説的に不都合が出てくる、って話は「飢えを防ぐ社会を作り上げた結果、重度の肥満が治療対象になってしまった」なんてエピソードに似ているのかもしれません。