時季を待つ
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クリニックが開業して、まもなく3ヶ月が経ちます。いろいろな方に支えていただき、なんとかやっております。ありがたいことです。
開業のお祝いとして頂戴した花や、観葉植物などのお世話をちょこちょことやっているのですが、気になることも出てきます。
たとえば、植え替えの話。
たとえば、剪定の話。
たとえば、肥料の話。
それをどうしようか…?と調べると、大抵は、「冬場はがまんして、暖かくなった頃に」って書いてあります。書いてあるんですが、やっぱり「今」どうしたものだろうか、って、花が落ちた、葉が落ちたと言っては一喜一憂している状況です。どちらにしても、春先まで待たねばならないの、でしょうけれど…。
観葉植物や蘭は、1年のサイクル、というのが分かっていますから、それでも「この時期じゃないんだ」ってことを情報として得ることができます。にもかかわらず、気になって、気になって仕方ない、ということだって、ありますけれど。
人生、って、もっと「先のこと」が分からないわけです。いつ頃成長しはじめるのか、いつ頃「よい気候」になるのか。あるいはいつ頃「花をつける」のか。
たぶん、今はじっと我慢するとき、っていうのが、あるんだろうと思います。が。なかなか、我慢するとき、をそのまま我慢だけで過ごすのも、本当につらい。
先の予定が立っていて、それが今じゃない、って明確にわかっていても、「今」はジリジリするわけです。
先の予定が見えるわけじゃない状況なんて、もっと大変なわけです。
でも、時季を待たねばなりません。待つ、って季節のことなら、ひょっとすると、時間が過ぎる、というだけで済みますが、時季、あるいは時機っていうのは、時間を過ぎさせるだけではやってこない事だってあります。
だから、待つ、っていうことは、時を費消することじゃなくて、その間に「地力をつける」とか、「運気を呼び込む」っていう作業が必要になります。
花芽をつける前に、植物は栄養をしっかり取り込んでおくと、大きな花になる。そんな準備が必要なのだろうと思います。
それが「人事を尽くして天命を待つ」ということなのかもしれません。天命は、なかなかやって来ませんから、やって来たときに慌てないで済むように、しっかり準備をしてゆきたいものです…なかなか難しいのですけれど…。
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わたしの思い出話になりますが、昔、精神科医の師匠の講義に出入りしていた頃のことです。
話を聞きながら、「いつか、師匠の代わりに同じ事を喋られるようになっておかねば」という気持ちがありました。そのために、一生懸命準備をして…いたつもり、でした。
ある時の講義で、ふと、師匠が「代わりに説明できるひと…?」って水を向けてくださったんです。もう、ここしかない!って思って、手を挙げて、当時定番になりつつあった、基本事項の説明をしたのですが…。
なんとか、ひとくだり、喋ったところで、師匠には「ハラハラして見ていられなかった」と言われました。わたしもドキドキしていましたし、本当にご心配をおかけしたのだと思います。
でも、師匠がいらっしゃる場所で、代わりの講義をする、という経験ができたことと、実際に「見ているのと、自分で喋るのとは違うなあ」と深く実感したこととは、わたしの中で大きな糧となりました。
想像しているのとはずいぶん違う経験ではありますが、それでも、ある程度想像して、準備していたからこそ、尻込みせずに飛び込めたのだと思っています。そのような準備を、待っている間に整えておきたいものです。