検診は意味がないのか?

「(私は)けんしんは、意味がないと思っているんです」と、お医者さんに言われた…なんていう話を聞きました。
けんしん…って、検診?健診?どちらもありそうですが。
それぞれに意味があるのか、ないのか、考えてみるのもよい機会かもしれない、と思って文章を書くことにしました。

健診、って書くと「健康診断」あるいは「健康診査」の略だったりします。

いわゆる「にんぷけんしん」っていうのは、こちらの健診、を使わねばなりません。これは、法定の項目と内容になり、妊婦(あるいは妊産婦)健康診査の略ですので、「検診」と書くと間違いなのだそうです。わたしも、むかし妊婦「検診」って書いて、叱られて覚えたのでした…。

検診…っていうのは、たとえば、がん検診などで使う用語ですね。

妊産婦の健康診査、っていうのもそれなりに効果があります。
がん検診っていうのも、それなりに効果があります。
効果がある、というのは、これをある程度以上の密度で行うことで、大きな病気の発生率が下るとか、死亡率が改善するとか、あるいは、医療費が削減できるとか、そういう意味です。

がん検診については、がんの種類によって全然扱いが違っているのが現状です。どのがんであっても「早期発見、早期治療」が良い、というような、一律の対応ができないあたりが、面倒くさいわけですが…。

たとえば、甲状腺がんは、東京電力の福島第一原子力発電所が、地震や大津波で電源供給が途絶えて、原子炉内の事故につながって以降、福島県では全数調査を長いことやっていました。その結果、甲状腺がんの検出率は上昇した、とされています。
一方で、甲状腺がんは、がんとしては「おとなしい」ということが知られています。つまり、積極的に検査をしなかった場合は、検査で見つけられるよりも大きくなってきたところで受診され、その治療にあたることで、それなりに対処できる…とされています。
検査で見つけられた場合に、発見してからどのくらいの生存が期待できるのか?という数字は、たしかに、症状が出てきてから受診して甲状腺がんが判明した場合に比べると「長い」ことが知られていますが、その「長さの差」は、治療を早期に行ったから、というよりは、「検査で見つかるタイミングから、症状が出てくるタイミングまで」の長さ分くらいでしか、ない、という話になっているようです。
つまり、早く見つけて、早くに治療をはじめると、治療の期間だけが延びる。
(*こうした研究はいろいろと進むにつれて、以前とは見解が異なることもあります。わたしの認識が古いまま…ということもありますので、実際のところがどうなのか、はそれぞれ専門の先生に訊く機会があったときにご確認くださいませ)
がんの治療はそれなりに副作用もあります。トータルの寿命が変わらないのであれば、熱心に検査をすることは、あまり「効果を発揮していない」と言えるのかもしれません。

子宮頸がんについては、イギリスの報告で、検診の受診率が85%を超えると、浸潤癌の発症が激減する、ということが知られています。
現状、日本では受診率が(高くても)60%前後、ということで、もう少し頑張って受診していただきたい…のですが、これもなかなかハードルが高いのですよねえ…。難しいところです。
もちろん、受診していただいた個人については、これで早期発見につながりますので、断然良いこと、と考えていただきたいところです。

一方で、卵巣がんなどは、なかなか早期発見・早期治療が難しいということが知られています。これは産婦人科学会で、ずいぶんと大規模に調査をしたのですが、進行した卵巣がんが見つかった方のうち、割とその直近に超音波の検査を受けておられた方がいらっしゃいます。そういう方の検査結果を改めて調査しても、3ヶ月前には異常が見つからない、ということがかなりの割合で起こっていた、という結果が判明しました。つまり、早期発見のためにと、たとえば3ヶ月ごとに超音波検査をしていたとしても、早期がんとして対処できない可能性がある、ということです。
何の症状もなく、また異常もない方を3ヶ月ごとに超音波検査…というのは現実的に不可能ですから、卵巣がんについては、早期発見・早期治療というのはあまり現実的な方法ではない、という結論になっています。
一方で、「年に1回くらいの頻度の検診を、十年続けると死亡率が低下するらしい」という研究報告もあるようです。十年続ける、ってのもなかなか気が長い話にはなりますし、手間暇との兼ね合いをどう考えるか、というあたり、悩ましいところです。

ところで。

「意味」ということになると、これは、統計的な数字を、どのように解釈するか?という主観が入ります。
たとえば、寿命が1日延びる、ということについて、「それは大きな違いではない」と解釈される方もあれば、「その1日が大事だった」という方もあるでしょう。
1日じゃなくて2日なら?「そこにも大きな違いはない」とおっしゃる方もあるでしょうし、「やっぱり違う」とおっしゃる方もありそうです。
そうやって1日ずつ延ばしていけば、いずれは一年になり、十年になり、百年になるかもしれません。百年の寿命って言えば、まあ、すごいわけですけれど、逆に言うなら、今生きている人が、百年先に生きていることは無いわけです。
百年の差を「誤差だ」とおっしゃる方がいらっしゃるなら、どのような治療も「誤差」であり、「意味がない」ことになるかもしれません。
極論すると、ひとは、どこかで、いずれは死ぬ、ということなのですから。

うーん。あまりにも大きく出てしまいました。

この辺の研究は「統計的な数字」になります。
統計的な数字が、個人にあてはまるのか、あてはまらないのか。あてはまるとして、その手間暇を受け入れるのか、それともリスクの方を取るのか。そこを考えてゆく、というのが、実はEBMの中の「実際にそのエビデンスが、臨床現場において有用かどうか、実施できるかどうかを検討する」というポイントになります。
エビデンスとして、明らかな差がある、ということが、そのまま、その差がある片方を問答無用で選ぶべきだ、ということにはならない、というのがポイントです。

けんしんには意味がない、とおっしゃった先生が、どのようなお考えで、どのような方に対しておっしゃっていたのか、分からないところもあります。

たとえば、超高齢の方の場合は、がんを発見したから、といって、治療を行うことに体力的に余裕が無いという状況の場合だってあるでしょう。そういう方に検診するのは、確かに意味がない、と言ってしまえるかもしれません。

仏教的には「全ては空」で、「諸行無常」「諸法無我」ですから、何もかも「意味が無い」ってことなのかもしれません。
現実対応としては、日々、そんな超然としては居られないわけで、右往左往しているわけですが…。

検診や健診だけじゃなくて、治療にも似たようなことが言えるのでしょう。とはいえ、日々、楽になりました、と、表情が明るくなるだけでも、わたしは意味がある、と思っていますし、そのような診療をしてゆきたいと思っています。