病気の原因と「モデル」

病気の原因は何なのか…?という話は、病理学という学問の中で一生懸命議論が積み重ねられてきました。

病理学の歴史の中で有名な先生としては「ウィルヒョウ」氏が挙げられます。
ウィルヒョウ氏は、細胞病理学というのを提唱しました。「すべての細胞は細胞から」というのが彼の標語であったとして残っています。
胃がんがリンパ節転移を起こすと、左鎖骨窩のリンパ節が腫れてくることがあるのですが、これを見つけたのがウィルヒョウ氏だったそうで、「ウィルヒョウ転移」として、氏の名前が残っています。
ところで、このウィルヒョウ先生、自分自身の理論の影響力が大変強かった時期に「細菌感染」というものを否定されたのだ…という話が残っています。

…とはいっても、衛生環境が劣悪であることが病気を引き起こす、という認識はあったようで、環境を改善するべきだ、ということはおっしゃっていたようです。
ですから、決して感染症を蔓延させることばかりやっていた方、と、闇雲に批難するような話ではないのかもしれません。

その後、「パスツール」や「コッホ」といった偉人たちがいろいろと実績を積み重ねる中で、病原菌…あるいは細菌感染というものがひとびとの認識の中にあらわれるようになります。
そのちょっと前に、産科の領域の歴史では「ゼンメルワイス」という方が出てきますが…この方、神経質なくらいに、産科のスタッフに手洗いを強要した、という話が残っています。
今から考えるなら、極めてまっとうな「感染管理をせよ!」という指導なのですが、当時はなかなか理解されず、奇人扱いされたまま、不遇の人生でいらっしゃったようです。

「パスツール」の名前は、「パスチャライズ」というところに出てきます。これは、牛乳の低温殺菌方法の1つ(パスチャライズ牛乳、というものがあります)となっています。スワン首のフラスコを用いた実験が有名ですが、一度加熱消毒した液体は、たとえタンパク質が豊富であっても、外界との交通が遮断されていたなら、菌は自然発生しない、ということを証明し、その時の消毒方法が残った、ということなのだろうと思います。

そんなこんなで、感染症の原因としての病原菌について、わたしたちは、近年、知見を積み重ねてきたわけです。

ですが、近代の病理学よりも前から、人は病に倒れることがあり、それらの病の原因について、長年、議論をしてきたわけです。

病因論、というのがその議論の全体を指し示す言葉ですが、細胞病理であったり、あるいは感染症であったり、というものは、とても大きな原動力になりました。
特に感染症の物語と、そして、フレミングなどによる抗菌薬の発見と臨床使用の実績は、感染症という病理像をかなり強く前面に押し出す結果となったのでしょう。
かつて、梅毒が新大陸からもたらされた頃には、「品行不方正が、病気の原因であり、それは神の思し召しに背く行為だったからだ」という考え方が流布したことがあったようです。
(大変興味深いことに、北欧などで、フリーセックスを唱える団体が出てきた時代に、今度は性感染症であるHIV/AIDSが問題になってきた、という時代的な重なりがあります。こういう符合をみると、やはり神様は見ておられるのだろうか…?なんて妙な信心深さを発揮しそうになるのですが)

感染症というのは、ものによりますが、ある程度は避けられないもの、になります。そして、宿主にはさほど大きな影響を与えずに、感染症の原因微生物だけを「狙い撃ち」出来る。そのような「銀の弾丸」が抗菌薬でした。
この「感染症モデル」が、医学を調子づけたことは、きっと間違いないのだろうと思います。
ですが、感染症がだんだん克服されるような気配の中で、今度はよくわからない、難病が増えて来た…と指摘されるようになりました。たとえば、免疫系の疾患などがそれにあたる、とされています。

あるいは、こころの問題などもあります。

単純に感染症、とか、がん、といった「身体的な」疾患だとされていたものも、それらの症状が、心理的な要因で変動したりすることがある、ということも知られるようになってきました。

結果として、現在は「生物学的」モデル、に加えて「心理的モデル」、さらには「社会的モデル」というそれぞれを掛け合わせて、「生物心理社会モデル」と呼称される、疾病のモデルが提唱されています。英語だと「バイオ-サイコ-ソーシャル-モデル」ということになります。

漢方では、病因論としては、「内因」「外因」と「不内外因」という形で分類をしていますが、「内因」というのは、なんらかの感情が過剰になったりすることによる「心理的」な病因をさします。「外因」は今で言うなら、感染症や、あるいは熱中症などのようなものでしょうか。「風邪(ふうじゃ)」などはこの外因のひとつとして数え上げられています。そのほか、食べ過ぎや、過労、運動不足などは「不内外因」ということになっています。

漢方の病因論は、もともと、生物心理社会モデルに近い形であったと言えます。

そういう意味でいうならば、現代の病理学は、生物学的なモデルが一時的に突出する形で優勢になりましたが、その後、大昔のモデルに近づいてきた、とも言えるのかもしれません。
先人の人間観察や病気の観察を侮るなかれ、ということになりそうです。