石橋を叩いて渡る

石橋を叩(たた)いて渡る
〔堅固な石橋を,さらにたたいて安全を確かめてから渡る意〕
用心の上にも用心をする。
石橋みたいな、「頑丈で、大丈夫」な場所であっても、叩いて、安全を確認してからわたる、という姿勢のことを言う表現です。
これが行きすぎると「羮に懲りて膾を吹く」ということわざになってくるのかもしれません。
羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹く
〔楚辞九章〕
羹の熱いのに懲りて,冷たい膾まで吹きさまして食べる。一度失敗したのに懲りて,度の過ぎた用心をすることのたとえ。
羹…あつもの、というのは中国では熱い汁料理をしめす言葉のようです。
漢字としては「羊羹」っていうところに出てきますから、だいぶ雰囲気違うなあ…と思ったら、この「羊羹」もともとは蒸したものであったのだとか。
ようかん 【羊羹】
〔「かん」は唐音〕
餡(あん)を用いた,代表的な和菓子。古くは蒸し羊羹であったが,室町後期から寒天を用いる練り羊羹が作り出され,現在では後者が主。
同じ漢字ですが、だいぶ雰囲気違いますよねえ。羊羹は熱くないですし。
「ようかん」ってもともとは羊の肉が入ったスープの意味だったそうですが…どこでどうなって魔改造されたのでしょうか。
羊羹が「ひつじのあつもの」じゃなくなった経緯もいろいろありそうです。
いや、羹の話じゃなくて、石橋の話をしているのでした。
叩かれる石橋。
石橋を叩いて渡る、ということわざも古くなりましたが、時々「石橋を叩いてぶっこわす」という表現を見かけることがあります。
一番古い記憶で覚えているのは、小学生くらいのギャグ漫画だったでしょうか。
まあ、ひとの腕力程度で石橋がぶっ壊れるかどうか、っていうのはまた別の話ですが。
確認作業、っていうのをわりと頻繁にする方があります。
人間関係で「確認作業」っていうと、「大丈夫ですよねえ?」って尋ねる、というのもありますが、それだけではないみたい。
時々、「試す」行動がついてくることがあります。
ところで。
「にんげん」は「いしばし」ではありません。
お名前で「石橋さん」という方はいらっしゃいますが、それは、叩いても良い、頑丈な橋、というわけじゃありません。
石橋を叩いて渡る、という確認行動があまりにも頻繁になってくると、相手をしているひとが疲弊してくる、ということもしばしばあります。
そうすると、関係性が壊れてくる。
「だいじょうぶ?本当にだいじょうぶ?裏切らないでね?」を毎日100回聞かされたら、そりゃ「もうお前のことなんか知るか!」って言いたくなるかもしれません。
それを、不安でしょうがないひとは、確認作業をしただけ、と思うかもしれません。
「確認作業をしただけなのに、裏切られた」と感じると、次の相手には、さらに強固な確認作業をすることになりそうですよねえ…。
「一寸先は闇」ということわざもあります。
一寸先は闇 (やみ)
未来のことは全く予測することができないことをいう。
予測が不可能だ、ということわざをしっかり受け止めつつも、ほとんどのひとは、今と変わらないであろう未来に「安住」しています。
それが出来るのは、今までの経験が「世の中、一寸先は闇と言ってみても、まあそんなに大変なことは滅多に起こらない」という形で安定しているから、かもしれません。
その安定感が育っていないと、不安が出てきやすくなる、ということなのでしょうか。
面倒くさい話をすると、最近は見た目だけ石橋で、中はスッカスカ、というようなものも増えて来ているらしいので、それなりに叩いて、用心が必要、らしいですから、ますます心配事が増えそうな気がしています。













