肩こりついて

わたしが、マッサージに近い形(厳密にはマッサージを業として行うには医師、あるいは按摩マッサージ指圧師の資格を取得していることが必要である、と法律に書いてあります)で人の身体に触れることをはじめた、そのきっかけみたいなものは、学生時代、イギリスでの語学研修に行った時のこと、だったと思います。

ちょうど一緒に参加していた仲間が「肩こりをぜんぜん持っていなかった」ので、あ、これはたしかに違うよね、と、差がハッキリわかったのは大きな一歩でした。

英語で「肩こり」に相当する言葉としては、sholder stiffness ってことになるのだろうと思います。ひとまず、そう言えば通じていたとは思うのですが、まああまり頻繁に使われている言葉ではないようです。日本とはだいぶ違うなあ…と思っていたのですが、じゃあ肩こりが無いかというと、そんなことはありませんでした。

けっこう、凝っておられるんです。そして、揉むと「気持ちいい」と喜んでくださる。

そういう中で、すごく肩こりが強いのに、その自覚が無い、なんていう人にもお目にかかることがあって、肩こり、っていうのは、自覚症状と、実際の状況に大きな差がある場合もあるのだなあ、と知ったのでした。

肩こり「感」が無い肩こりというのは、だいたいは慢性化しているか、とても強く凝っているか、のどちらか、あるいはその両方が組み合わさって発生しているのだろうと考えています。しばらく揉んだりほぐしたりしていると、そのうち、肩こり「感」が出現してきます。

身体からの情報を、わたしたちは脳で受け取っているわけですが、あらゆる情報をすべて意識的に受け取っていては、その処理に大変な負荷がかかってしまいます。

なので、持続している違和感というものについては、なるべく意識しないようにしていく、というような機構があるのかもしれません。(慢性の疼痛はまた、別の機序が発生しているのでしょう。こちらはこちらでまた難しい事情があります)

今まで肩こりを自覚されたことが無かった(けれども強い肩こり状態が続いていた)方が、揉んだり、ほぐしたり、という行為の後で、肩こりを自覚されるようになる、ということは、違和感や不快感が「増えた」とも言えるのですが、わたしは、違和感や不快感を自覚できないほどに慢性化した状態から離脱できた方が良い、と考えています。このあたりは、何を大事に思うのか、という価値観の問題だと考えています。

ところで、腰痛と肩こりは、人類が二本足で立って歩くようになったことの弊害だ、と言われることがあります。もともとの設計としては、哺乳類の四本足歩行ですから、背骨にかかる力の方向は、90度近く変化した、と考えられます。腰の骨を支える筋肉も、四つ足であれば、もうちょっと負担が少なかったに違いありません。

野生の動物には肩こりが無いのか?って話ですけれど、これはわかりません。ただ、飼い猫や飼い犬などに、人と同じようにマッサージをすると、割と気持ちよく受けている個体もあったりすることを考えると、肩こり、という形があるかどうかはともかくとして、意外と、動物にも似たような「コリ」はあるのかもしれないなあ、と思います。