自他の境界線

先日、SNSを見ていたら、「自他の境界線」について、書いておられた方がありました。

この「境界線」という考え方そのものが、文化的な背景から出てきている…という表現をされていたように記憶しています。

つまり、個人、という枠組みや、個、という輪郭を用いて、それらを区分する、というのは、個を尊重するような文化によって発生してきたものであって、たとえば、家父長制が強く残っていた時代の日本では、「個」というものは、あまりハッキリしていなかったのではないだろうか…という認識です。
「個人を個人として尊重するべきだ」という主張が成立するための「個」がきちんと文化として認められたのは、日本においてはごく最近のことで、決して世界的にも歴史的にも普遍なものではない(のだから、その「個」を強調する主張が「正しい」とは限らない)、ということになります。

なるほど。

そういえば、三砂ちづる氏が、英国に留学していたときに、寮での生活だったそうですが、いろいろな国からやって来たひとたちとの共同生活だったと書いています。

中には、自分の物と他人の物をきっちり区別して、自分の物に触れられることを嫌がる(し、他人のものは尊重する)というタイプの方と、ひとの物であっても、気楽に持ちだして使う(し、自分のものも、自由に使って貰って平気)というタイプの方がいらっしゃったのだとか。

三砂氏は、境界線が緩いルームメイトとの生活が、思いのほか快適だった、と回想されていました。勝手に人のものを使って!と目くじらを立てて怒りっぱなしになる方もあるのでしょうけれど。

このあたり、自他の境界線が、ひとによって違う、ということがわかります。
どちらかが「良い」あり方で、どちらかが「悪い」あり方…ということではありません。
社会のあり方が違う、ということなのだろうと思います。

ひとのもの、自分のもの、ということで有名なセリフがあります。

「お前の物は俺の物、俺の物も俺の物」

テレビアニメ『ドラえもん』の中で、ジャイアンが口にする言葉ですが、ランドセルをなくして、困っているのび太をたすけ、取り返してくれた時にも、このセリフが使われているのだそうです。(「ジャイアニズム」

そういう使われ方をすると、「俺の物なのだから『大事にする』」というような意味合いが出てくる言葉にもなります。

かつては、そのように「強い上司」が部下の人生を丸ごと抱えていた、ということがあったのでしょう。
そのあたりは「御恩と奉公」という形で書いたところです。

御恩と奉公

歴史の勉強をしていた頃に「御恩と奉公」という言葉を覚えました。中学校くらいのことだったでしょうか。雇用主?である殿様から「御恩」があり、それに対して「奉公」が…

昭和の大企業では、社員運動会、などという催しがありました。
地縁さえも企業の中に作り上げる形で、ひとのつながり込みの、皆の面倒をみる、というあり方が是とされた時代があった、ということなのだろうと思いますし、昔の大家族・家父長制というのは、そのような面があったのでしょう。

現代人が、いつ頃から、そのような「大家族・家父長制」に飽きてきたのか…?という歴史的な話を考えると、興味深いのかもしれません。
一番顕著なのは、「ニュータウン」の形成のころでしょうか。戦後まもなくと言えるのかもしれません。
今までの大家族から離れて、核家族で住む、というあり方に、若い夫婦は諸手を挙げて賛成したのが、ニュータウンのブームだった、と聞きます。

ただし、出産・育児を核家族で行う、というのは結構大変で、最近ではこれを「駆け落ちした若夫婦みたい」だとSNSで表現されている方もありました。まあ、核家族のところに、それぞれ夫婦の両親(おもには母親)が手伝いに行くとか、あるいは新生児の育児の際に、実家に帰省するとか、そういう形はまだ残っているようですから、完全に縁が切れてしまっているわけでもありませんが…。

昔は、炊飯するにしても、かまどで、薪を使って…という時代でした。そうなると、少人数で食べるよりは、皆で集まって、まとめてご飯を準備する方が、薪炭材の利用という視点でも効率が良かったことでしょう。
江戸時代から明治時代ころの商家では、本当に大きな釜で、たくさんの人が関わって昼食の準備をしていた、などという描写を読んだことがあります。そんな時代に、核家族的な生活は、効率が悪かった、では済まされないくらい、大変なことだったのではないかと思います。

現代日本は、経済と物流とが、核家族や個人での生活を支えるようになった時代、ととらえることも出来るのだろうと思います。
そういう時代に、じゃあ、自他の境界線をどのように引き直してゆくのか、ということが、現代に生きるわたしたちに課されているのでしょう。