自分の考えの枠から出る

大学における教育の目標点を「自分の考えの枠組みから出ること」だと、精神科医の師匠は、そのようにとらえて、大学生への講義をしておられました。
わたしが臨床を少し離れて、医学部の大学院に戻っていた頃、その師匠が、とある別の大学で、非常勤ではありましたが、講義をなさっていたのでした。
そこの講義に2年でしたか、3年でしたか、参加させてもらっていたわけですが、その講義の中で、折に触れ、「枠組みから出る」という話を繰り返しておられました。
自分の考えの枠から出る、って、どういうことでしょうか?ねえ。
そういえば、論語には「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」という文章がありました。
解説はいろいろな所にありますが、たとえばこちら(https://bunlabo.com/analects-brainwashing-and-dictatorship)。
自分ひとりで考えるばかりでは、自分自身が思考する、その枠組みから離れることができなくなる、ということだったのかもしれません。
かといって、じゃあ、他人の言うことばかり聞いていると、こんどは主体性が喪失しますから、どちらだけでもダメだ、ということでしょうか。
こうなると、「だから対話が必要なのだ」というような話になるのかもしれません。
文章を書くときにも「対談」の形式を取ると、話題の脱線や新しい視点などをいれやすいのだ…というテクニックの話を読んだことがあります。同じ地平を延長する、だけではない思考というのは、そのように「他者」の存在が必要なのかも知れません。
確かに、わたしも1年半くらいブログを書いてきていますが、だんだん書くネタが尽きてきました。
そういう時に良い刺激になるのは、他の方とのお喋りです。あ、こういう話、あるよねえ…というところから、文章が生まれてくるのですが、やはり、対話が大事ということなのかもしれません。
もうひとつ、「自分の思考の枠組みから出る」ためには、多少なり「素直である」ということが必要なのだろうと思います。
どこかで、エイヤッ、というかけ声とともに、その先の「未知」に自分自身を投げ出すような、そういう思い切りが必要なのでしょうし、それは他者が引っ張ってくれた時に、それに乗っかる、というような形である方がスムーズであるように思われます。
一度「枠組みから出る」ことができた、そのあとはどうするのでしょうか?
わたしは枠組みから出た、と、そこに安住してしまう、というのも違うように思います。
つまり、枠組みを超える、という作業は、いちど「やり方」を覚えたら、その先は、どんどん、繰り返すもの、なのかもしれません。
そのようにして、自分の思考の枠組みを変化させていくこと。
生きていく、ということは、そのような変化とともにあることなのかも知れません。













