自然経過ですか?

先日、漢方の勉強会に出てきました。いろいろと話を聞いてきたのですが…。
お一人、総合病院の漢方診療部にいらっしゃる先生の話が印象的でした。
「(院内の)漢方なら簡単に治せるのに…」という患者さんが居ないようにしたい、という思いで、あちこちの診療科の相談に乗っておられるのだそうです。
そして、状態の悪い方に漢方薬を使うことで、どんどん改善されているのだとか。
…なのですが、これで漢方の効果がすごい、って思ってくれるだろう…って期待していると、時々「自然経過です」と言われるのだそうです。
自然…に見えるかもしれませんが、だって介入するまで、こんなに大変だったじゃない。
それが自然に治っていく、っていうことがあるんだったら、呼ぶなよ…って思いたくなるような話なのかも知れません。
漢方の話題に力を入れてくださるのは、わりと、内科系の診療科よりは、外科系の診療科に多いのだそうです。
そういえば、京都大学の中で、漢方の研究を大真面目に取り組まれたのは、移植外科の先生方でした。実際にそれで、漢方の効果を実感されているし、対照試験で有効と言えるような結果が出ているところだと聞いたような覚えがあります。
移植外科の中で、有名になった最初の処方は、茵蔯蒿湯でした。漢方エキスの製剤としては、わりとマイナーな処方です。
これは黄疸を減らすという作用があります。先天性胆道閉鎖症の子どもたちの、移植を待ちながら、あるいは、移植後の不調の中で、その親が必死になって、藁にもすがる思いで、漢方薬を試してみたら…思いのほか有効だった…というような、そんな経験が積み重なった所から、だったのではないか、と伝え聞く話をつなぎ合わせ、勝手に妄想しています。
日々、どこまでが自然経過なのか、どこからは、自然な経過の中では滅多にないことなのか、っていうあたりを、しっかり見ておられると、滅多にない経過が重なった時には「そこには(些細かもしれないけれど、後押ししてくれた)何かがある」って言えるようになるのだろうと思います。
そのためには、こまめな観察と正確な予測が必要なのかも知れません。