薬と違う処方

漢方内科の看板をかけているのに、ブログの話題に全然漢方が出てこない!って思っておられる方、ひょっとすると、けっこういらっしゃるのかも知れませんねえ。
なんか心療内科っぽいね、とは言われたこともありますし、お坊さんですか?って訊かれたこともありました。ちなみに、わたしの師匠(大村雄一氏)は得度しているそうなので、僧侶らしいです。剃髪されていないので、髪の毛はボウボウです。
わたしはだいぶ髪の毛は薄くなりましたが、わたしは僧侶の資格をもっておりません(髪の毛とはあまり関係ありません)。じゃあ神職…?とかって話でもありませんけれど。
その割には、微妙に説教くさい話が多くて、心の問題とか、生き方の姿勢とか、そういう観念論的な話を延々してきているのには、それなりの理由があります。
つまるところ、漢方の診療をやっていると、観念的な、心の問題をどうするか、とか、生き方の姿勢をどうしていくか、みたいな話に触れざるを得ないのです。
そんなメンドクサイこと言わんと、効く漢方出してくれたらええねん、ほら。
ええのん、見繕ってや…。
一時的な症状を緩和したり、症状から意識の焦点をずらしたり、ということだけであれば、そりゃ薬でなんとかなるのかも知れません。
が、得度した師匠は、漢方薬を調合して皆さんにお届けしていたのですが、あるときフッとそれを止めました。その後わたしが漢方外来の担当をはじめた頃に久しぶりにお目にかかって、「漢方外来を担当しはじめたんです!」ってお伝えしたのですが、その道に進んだことを喜んでくださったあとで「でもな。外から何かを入れても、ひとは良くならんのよ」とおっしゃったのでした。
薬「が」わたしの身体を良くしてくれる
…というわけではありません。
薬があると、自分自身の身体を自分自身が良くしていく、その道筋を手伝ってくれる、ことがある、というのが正確な表現ではないでしょうか。
じゃあ、薬ってなんだい?ってことになります。
別の師匠は「処方箋、って薬の話だけじゃなくて、生き方の処方箋だってあって良いよね」と言い始めました。たとえば「毎日散歩する」とか「心を明るく保てるようにする」とか。そういう生活の中の活動や行動を意識的に行うように、という行動指針だって、ある意味で「処方箋」です。
薬局には置いていない薬のなかには「ひにちぐすり」というのもあります。
そういう薬じゃないことの処方箋…というものの中に、人生訓、的なものも、混ざってくるのだろうと思います。
どうかご縁あって、ここを読んでくださった方の人生が、明るいものになりますように、と思いつつ、ブログを書いております。