負けられる処では負けておく

先日、ボンヤリとSNSを見ていたら「小さい、勝ち負けがさほど影響しないところで負けておくと良い」という話が書いてありました。

普段から自分の思いを全部通すのではなくて、どちらでも良いものごとについては、相手の思いを尊重することをやっておくと、いざという時に自分の思いを通しやすくなるのだ、という工夫なのだそうです。

負けること自体がどうしてもイヤ、とおっしゃる方もあるかもしれませんから、まあ、いつでも誰とでもの話で役に立つ、というわけではないのかも知れませんが、この文章に、わたしはずいぶんと重要な示唆を頂いたなあ、と思っています。

自分自身の軸をしっかり把握していると、どこが負けられるところで、どこは負けてはいけないところか、が分かるのですが、自分の軸が揺らいでいると、それがハッキリしなくなるのです。

「物事の優先順位」ということにもつながると思います。

つまり、どこの部分を優先して自分の思いを通してゆくか、それを通す上で、負けても良い…つまり妥協しても良い場所はどこか、という話を整理することにもなります。

以前、何かの災害現場で、子どもを置いて、他の人の救出に向かった方が、その災害に巻き込まれて亡くなった、という報道を見たことがあります。

善意の方が亡くなった、とても残念なことですが、場合によって、救出に向かった方だけではなくて、置いて行かれた子どもに何かが起こることだって、状況によっては、あり得るかも知れません。そういう時の「優先順位」がどうなっているか、というのは、親子で共に生き残るためにはとても大事なこと、なのかも知れません。

競合すると、どうしてもそこで「勝ち」を手にしたくなるというのは、ゲームなどに慣らされてしまった、わたしたちの癖みたいなものなのかも知れませんが、負けておく、というのもずいぶんと大事なことなのだろうと思います。

そういえば、子どもが学校で柔道の授業を受けてきましたが、最初はほぼまるごと、受け身の練習なのだそうです。これを「負けることの練習」と書いていた方がありました。ちゃんと負けること、上手に負けること、負けたときに自分が傷つかないこと。そういうことを上手に練習して、負けても良い場所を作っていく、というのは、とても大事なことなのだろうと思います。

そして、優先順位をハッキリさせるためにも、自分の軸をしっかりと打ち立てて、揺らがないようにしていくことも、目指してゆきたいところです。