選んだ道を後悔しないために

以前も「一人反省会」というような話をして、自分自身の選択について「その時の最善だったのだ」という話を書きました。
最近、ご縁があって、障害支援のための文具を販売している、という会社「おめめどう」の代表ハルヤンネさんの文章をちょこちょこ読むようになりました。
わたしはSNSでも読んでいるのですが、昔のメルマガや相談などでお書きになった文章を「過去ログ」としてnoteに出しておられます。
アメブロでもいろいろと書いておられるようです。いくつもの「月がまわってくる」~自閉症・発達障害支援会社社長のブログ~
実践するには、文具を使ってくださいね、という言い方を繰り返しておられますが…どうやら、自作すると、本来大事にするべきポイントが抜けてしまう、という現象が発生するらしく、そういう「いいとこ取り」ではなくて、毎年きちんと効果を出している形を、きちんとなぞることが大事、とお考えのようです。
さて。そんな「過去ログ」を読んでいたら、大変興味深いタイトルが飛び込んできました。
一度選んでから、「あっちがよかった」の対応(2017年12月11日のメルマガ)
おめめどうの支援対象者の多くは、いわゆる自閉症とか、発達障害と言われるようなタイプの方々です。そして、彼らは、一般的に、ちょくちょく、「パニックを起こす」という形で描写されます。自身の思いと、世界のありかたの折り合いがつかない時に、癇癪が破裂するわけですが、かなり強い問題行動になりがち、なので、極力まわりが、それを避けるような動きをしがちだ、と書いておられます。
この原因のひとつが「同一性保持」と呼ばれる気質であり、それは、想像力の偏りによって、本人の選択肢がきわめて狭いからだ、とおっしゃいます。
なので、「みとおし」を立てて、「こころの準備」をして、「えらぶ」ということを援助してゆくと、生活の折り合いがつけやすくなっていく、とか、自分で選ぶことが出来るようになっていくのだ、という話でした。
さて。そんなこんなで、少しずつ、「えらぶ」ということを彼らに委ねてゆくわけですが。
「えらんでね」と言っておいて、本人が「こっち」と言ったあとで、それでも「やっぱりあっちのほうがよかった!」となる。そんなことも結構あるのだそうです。
じゃあ、どうするか。「あっちのほうがよかった!」というパニック状態になったところで、対応しても、よい対応ができるわけではありません。日々の積み重ねの中で「選択」ということを理解して、納得しておいてもらうことが必要なわけです。
ノートから引用します。
選択は「二択は、一つを選び、一つを諦める」という行為なのですが、それが普段から曖昧だということ。ヨーグルトとプリンを選ぶとして、「ヨーグルトは今食べる。プリンは夕方に食べるわ」となると、選択ではなく順番ですから、どちらにも責任はなくなりますよね。なので、きちんと選ぶができるようになるまでは、一つは必ずなくなるようにして、「一つを諦める」経験を積んでください。食べ物で選ばなかった残りをお母さんが食べてしまうとか、カードをおしまいボックスに入れるとか、えらぶメモで片方を斜線で消すとかです。そうすると、「一度決めてからのあっちがよかった」は減っていきます。
そして、普段から「気のない時に選んでもらわない」というのも気をつけてください。気がないんですから、その場凌ぎ(解放されるために)、適当に選びますから。本人に求めがあった時に「二択提示」を心がけると考えはります。
選択は「二択は、一つを選び、一つを諦める」という行為であるということ。
ちゃんと諦める、ということ、手放す、ということができるようになれば、そこに「あっちを選んでおけば」の後悔は発生しません。つまり、自閉症の方の援助として書かれている文章ですが、これは、多くの定型発達の方も、この「選択」という物事の本質的な意味を理解納得できていない、ということが、「えらぶ」「えらばせる」の場面で見え隠れしている、ということなのかもしれません。
もうひとつは、「大きな選択」をするときには、事前に伝え、期日を設けて、それまでに気持ちをかためてもらう、ということが大事なのだそうです。期日への見通しには、おめめどうさんは「巻物カレンダー」という、特殊なカレンダーをつくっておられます。特殊といいつつ、このカレンダーをひとりひとつ、というのが、支援のいちばん最初の一歩だ、と書いておられます。「みとおしを立てる」という道具なのだそうです。
定型発達のわたしたちも、そんなに見通しが立つことばかりではありません。とくに、人生の大きな選択なんていうのは、その先がどうなるか、わからないことも結構あります。
とはいえ、細かい選択を、きちんと自分の責任の上で重ねていくことが、ちゃんと自分の動作として確立しているなら、自分で選んだことについて、きちんと受け止める、という形で引き受けることが出来るようになるのだろう、と思います。













